子を持つ=命をつなぐという考え方
自分の人生だから自分を第一に、というのは美しい考え方である。
若い頃は、自分が第一、自分のやりたいことを実現するのが人生だと、私も思っていた。
しかし、若い頃は全然気が付かないのだが、実際はかなり、辛い。
自分だけにフィーチャーすると、絶対的に加齢していくし、衰えていくからである。
ところがそこに、ありがたいことに子どもがいると、自分の加齢と、子どもの成長、近い将来死に向かっていく親のことも、「ああ、それは生き物としての宿命だな」と受け入れられる気がしてくるのである。
やはり人間は生物であるから、ある程度次世代のために時間を費やすことが、自然な流れとも考えられるし、基本的に太古の昔からそうやって命を繋いできたわけで、この命を繋ぐ営みは侮れないと思う。
誰しも歳を取るわけで、中年も過ぎたころになると白髪やシミだらけで鏡を見るのも嫌になることもあるけれど、代わりに自分の子どもたちがぐんぐん大きくなってくるのをみると、
「こうやって命は繋いでいるから、自分も歳を取って、いつかはあの世に行くわけだけれど、それが生き物としての運命だ」
と、すっきり納得というか、諦めもつくように思う。
いわゆる8050問題で、死んだカーチャンをそのままにして横で暮らしてる独身の子ども(とっくに成人したオッサンやオバサン)が逮捕されているが、あれは「もうどうしていいかわからない」という思考停止によって引き起こされているように思う。
もともとの知的能力の問題もあるかもしれないが、ずっと独り身で生きてしまうと「親が死んだら自分が生きている価値がない」という極端な考えに陥ることがあるようだ。実際、そういう状態になった人をみてきている。
それはおそらく、「親と、子である自分」という二者だけの関係性から脱却できていないからなのだと思う。
しかし、ここで自分にも子どもがいると、「自分の親と子である自分」の関係に加え「親としての自分と自分の子ども」との関係がオーバーラップするため、自分の親との関係をもう少し客観視でき、その分過度な依存に陥らずに済むように思う。
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