子供を虐待するヴィーガン
貴方はヴィーガニズム(ビーガニズム、veganism)という言葉をご存知だろうか。
某サイトによれば「人間は不可能ではない限り動物虐待搾取することなく生きるべきであるという主義。その範囲は単に動物性食品を食べることを避けることから、あらゆる動物製品を避けることを含む(革、ウール、毛皮等々)。動物性食品を食べない、もしくは動物製品を使わないということの実践」とある。
つまり一言で言うと「動物を大切にしよう」という主義であり、それを実践するのがヴィーガン(ビーガン、vegan)と呼ばれる人々である。
これだけ聞くと貴方は「ヴィーガンとは動物思いで何て優しい人達なんだ」と思われる事だろう。
しかし不思議な事に、現実は大きく異なる。ヴィーガンの実態を知る程に、優しいどころかその真逆だと思わざるを得なくなるのである。
事実、世界中でヴィーガンは「迷惑」「危険」「カルト宗教」などと認識され忌み嫌われている。(もちろんヴィーガン全員がそうだとは限らない。)
では何故、動物思いで優しいはずのヴィーガンがその様に認識されているのか?その理由を解説していこう。
1.ヴィーガンの過剰な「選民意識」
選民意識とは「自分たちは選ばれた特別な存在であり、他者を選ばれなかった存在として一方的に見下したり卑しい存在として排除しようとしたりする思想」の事。
先に述べた通り、ヴィーガンは肉や魚を一切食べず、また毛皮や革製品さえ使用しないというある意味非常にストイックな人々である。それは誰もが認める所。
ところがそこに落とし穴がある。いつの間にか「動物の為にストイックに頑張る自分」に酔っ払ってしまうのだ。
「動物の為に頑張る自分は偉い!選ばれし存在!その辺の人間とはレベルが違う!」
残念な事に、大半のヴィーガンがこの様に考えてしまうのだ。正に「選民意識」そのものである。以下の画像をご覧いただこう。
これらはいずれも著名なヴィーガン達によるツイートである。肉を食べない自分は選ばれし存在、肉を食べる者はもはや人間では無いと主張している訳だ。つまり肉を食べる貴方や貴方の家族を公然と侮辱しているのである。
この「選民意識」こそ、ヴィーガンを的確に表現するワードの一つだと覚えておこう。
2.ヴィーガンの大いなる「矛盾」
ヴィーガンは声高らかに「動物を殺すな!食べるなんてもっての外!」と主張する。そしてヴィーガンでは無い「肉を食べる人」をとことん批判し侮辱する。
確かに「肉を食べる=間接的に動物を殺している」これは紛れもない事実である。だがここで一つの疑問が浮上する。そもそも肉食者を批判するヴィーガン自身は動物を殺していないのか?という点である。
肉や魚などの動物性食品を一切食べないヴィーガン。では何を食べているかと言うと、もちろん野菜・果物・米などの農作物である。まずはそれらを作る過程を考えてみてほしい。
農作物を作る為には田畑が必要である。その田畑を作るには、当然大地を掘り起こし耕さなければならない。すなわちそれは、その地に生息している野生動物を根こそぎ虐殺し住処を奪うという事に他ならない。耕うん機の鋭い爪で、ヘビもモグラもミミズも等しくミンチにされるのである。
また農作物を育てる過程でも、当然ながら害獣や害虫とされる野生動物を大量に駆除する必要がある。そうしなければ安定した収穫は望めない。
つまりはヴィーガンも、自分の食事の為に間接的に動物を殺しているのである。これは肉食者と全く同じだ。
自分も動物を殺しながら他人を「動物殺し!」と批判するヴィーガン。これこそ正に「大いなる矛盾」である。
なお冒頭でも示した通り、ヴィーガニズムとは本来「可能な限り動物の犠牲を減らそうとする考え方」である。確かに「自分も動物を全く殺さない訳ではない」と認識しているヴィーガンも一定数存在する。
それを踏まえた上で「自分は肉を食べない分、動物の犠牲を減らしている!」(=肉食者を批判する権利がある!)と主張する者がいる。しかしここにも明らかな矛盾が存在する。
まずは食事を全て菜食にする事で本当に肉食よりも動物の犠牲が減っているのか、という点だ。
例えば牛一頭を食肉に加工した場合、一体何人分の食事が賄えるだろうか?かなりの数である事は間違いない。逆に菜食のみで同じ人数分の食事を賄おうとすれば、一体何匹の動物の犠牲が必要になるだろう。
もちろん、牛を飼育する過程でも相当数の野生動物の犠牲は想定される。特に家畜の飼料(穀物、乾草など)は膨大な量を要する為、それを作る過程も考慮すればやはり菜食の方が犠牲は少ない、との主張もある。果たしてこれは事実なのだろうか?
例えばスーパーに並ぶ「野菜」や「果物」と、牛の主食である「わら」を想像してみれば分かりやすい。つまり人間の食料となる農作物と家畜の飼料は全くの別物であり、当然その生産環境や過程も大きく異なる。従って単純な比較は出来ないのである。
生態系すら異なるそれぞれの環境で、土中に潜む小動物の数までカウントする事は実質不可能であり、すなわちそれは肉食と菜食における動物の犠牲の数の比較は不可能だという事実に他ならない。
従って、肉を食べないから動物の犠牲を減らしている!と「断定」するヴィーガンの主張は矛盾と言わざるを得ない。
さらに我々は、ヴィーガンのそもそもの矛盾を見逃してはならない。仮に「菜食の方が動物の犠牲が少ない」という事が事実だとしても、それが肉食者を批判しても良いという理由には一切ならないという点だ。
動物の犠牲を少しでも減らすべき、という主張はあくまでヴィーガンのものであり、ヴィーガンで無い人々に強制されるものでは決してない。そもそも肉や魚を食べる事も、その為の畜産や漁業も、この社会においては完全な合法である。
それを何故、批判されなければならないのか?しかも自分も動物を殺しているヴィーガンに…まともな人であれば当然この様に考えるだろう。
合理的な理由も無く他人を批判するヴィーガン。「大いなる矛盾」の意味がお分かりいただけただろうか。
3.ヴィーガンと「カルト宗教」
ヴィーガンの実態をよく知る人々は、しばしばヴィーガンとカルト宗教の類似性を指摘する。以下ヴィーガン達によるツイートをご覧いただきたい。
これらのツイートを見て、貴方は何を感じただろう。「何か」に似ていると感じたのではないだろうか。
そう、これこそ正にカルト宗教そのものなのである。強烈な選民意識を持ち、スピリチュアルに傾倒し、人類滅亡や地球が終わるといった終末論を掲げている。大げさでは無く、こういった傾向のヴィーガンは驚く程多い。
どうだろう。ヴィーガンとカルト宗教の類似性がお分かりいただけただろうか。ヴィーガン自身は当然カルトでは無いと反論するが、こういったツイートが日々山のように発信されている現実を見れば、その説得力は皆無である。
4.ヴィーガンによる「迷惑行為」
ヴィーガンによるカルトじみたツイートをたくさん紹介してきたが、ツイッター上で暴れ回っているだけであればまだマシだ。
一番厄介なのは、自分達の主義主張を押し付けようと実際に街に出て迷惑行為に及ぶヴィーガン達の存在である。中には明らかな犯罪行為も厭わない、危険な輩も一定数存在する。
なお、ヴィーガンによる迷惑行為は海外でも日本でも同じ様に活発に行われている。以下、画像にて一気に紹介していこう。
むろんこれらは氷山の一角である。ヴィーガンによるこの様な迷惑行為は世界中で日常的に行われている。もはや社会の敵と呼んでも差し支えないだろう。
5.子供を虐待するヴィーガン
ヴィーガンによる迷惑行為は多岐に渡るが、その中でも最悪の愚行と呼んでも差し支えないのが「子供への虐待行為」である。以下の画像をご覧いただこう。
不気味なマスクで顔を隠し、人通りの多い路上でTVモニターを抱えるヴィーガン。そこに映し出されるのは、何と家畜の屠殺シーンなどのいわゆる「グロ映像」である。
たまたまそこを通りかかった人々は、有無を言わさずその血みどろのグロ映像を視界に入れられる事になる。感受性の強い人であれば、一発でPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症してもおかしくない様な映像だ。
当然、両親に連れられた幼い子供もその場を通りかかる事だろう。その無垢な瞳にさえ、ヴィーガンは容赦なく残虐な映像を突き付けるのである。
言うまでもなく、これは完全なる「虐待行為」だ。子供の心を深く傷付け、時にはPTSDを発症させる場合もあるだろう。なおその症状は数ヶ月で治る軽度のものから、一生心の傷を背負わされる重症のケースまで様々である。
では何故、ヴィーガンはその様な虐待行為を平気で実行出来るのか。彼等の言い分は概ね以下の様なものだ。
お分かりいただけただろうか。要するにヴィーガンは「事実なのだから、道行く人に無差別に屠殺映像を見せつける事は何も悪くない」と言っているのである。これはとんでもなく的外れかつ身勝手な言い分だ。
確かに屠殺とは残虐な行為である。家畜を失神させて逆さ吊りにした上で、喉を切り裂き失血死させるのだ。そしてバラバラに解体され、食肉に加工される。これは紛れもない事実。
だが考えてみてほしい。その事と、残虐な映像を幼い子供に見せつける事に何の関係があるのだろう?
事実だから見せるべきという主張は、例えば幼児に「赤ちゃんはどこから来るの?」と聞かれて、事実だから目の前で性行為をしてみせるべきと言う事に等しい。これは明らかな愚行であり、的外れにも程がある。
さらに言えば、ベビーカーに乗せられている幼児に畜産や肉食産業の実情など理解出来るはずは無い。だが、血みどろのグロ映像を見せつけられれば心が傷付くのは紛れもない事実である。
子供が成長してある程度の分別がつく様になった時に、もし畜産に興味が湧いたのなら自分自身で勉強すれば良い話だ。大人でも子供でも、見たくもないものを無理矢理見せつけられる筋合いは全く無い。
己の主義主張を押し付ける為に無差別にグロ映像を垂れ流す行為は、同じ理由で無差別にサリンをばら撒いた某カルト教団と全く同じマインドである。
また、動物が虐殺されている事実を知らしめるという事であれば何故ヴィーガンは畑で虐殺される野生動物の映像は一切流さないのだろう。
先に述べた通り、人間の食事の為に殺されるという点では家畜も畑の害獣も全く一緒である。それを許さないと言うのであれば、公平にそれぞれの殺害シーンを流すのが普通ではないだろうか。自分に都合の悪い事は一切見ないふり、知らないふり。ヴィーガンの悪い癖である。
6.過激なヴィーガンはひと握り?
これまで、様々な画像と共にたくさんのヴィーガンを紹介してきた。選民意識と矛盾の塊、カルト教団と同じ過激なマインドで他人様に迷惑をかける事を善行とする社会の敵。このnoteを読まれた方はヴィーガンの事をそう理解された事だろう。
そこで当然想定されるのが「そんな過激なヴィーガンはほんのひと握り、大半のヴィーガンは人に迷惑をかけていない」という反論である。
確かに、全てのヴィーガンがこんなに酷い有様だとは誰も言っていない。自分は肉を食べないが、それを他人に一切求めないというまともな人々も一定数存在するだろう。
だが、先に記した「残虐な映像を無差別に見せつける迷惑行為」に関して、この様なアンケート結果が存在する。
何と、約7割のヴィーガンが残虐な画像や映像を使った活動を「やるべき」と回答したのだ。これは驚くべき結果である。路上で無差別にグロ映像を垂れ流して幼い子供を虐待する事に、7割ものヴィーガンが賛成しているのである。
もちろんあくまでツイッターでのアンケート、さらに回答者数は300人程度なのでデータとしては絶対とは言えない。だが日々繰り返されるSNS上での膨大な数の過激な発信、さらに実際に行われている路上での迷惑行為の頻度を見れば、少なくとも半数以上のヴィーガンは賛成していると推測出来る。
なお、路上で無差別にグロ映像を垂れ流す迷惑行為の事をヴィーガンは「路上活動(ロカツ)」「アクション」などとカジュアルに呼ぶ事で罪悪感を抱かない様に誘導し、その参加者を募っている。
また、この様に路上でTVモニターを用いる手法以外にも、ヴィーガンは様々なやり方で無差別にグロ映像やそれと同様のものを垂れ流している。こちらも一気に紹介しよう。
最後の4枚は「マーチ」などと称し定期的に行われる組織的迷惑行為である。なおこの愚行を咎められても「警察に許可を取ったから誰にも文句は言わせない!」と聞く耳を持たないヴィーガン。その理屈であれば、合法である肉食に文句を言う資格も無いはずだ。
確かヴィーガニズムとは「動物を大切にしよう」という主義ではなかっただろうか。それが蓋を開けてみれば、動物の一種である人間に迷惑をかけ、その子供を虐待する事を良しとするカルト思想そのものだったのである。
もしも貴方の周りにヴィーガン、もしくはヴィーガンに興味を示す人がいれば、ためらう事なくこのnoteを読ませてあげて欲しい。外側から客観的に眺める事で、洗脳から解ける事もあるかもしれない。ヴィーガンに虐待される子供を一人でも減らす為に。