パフォーマンス活動休止期間を延長し、本格的に働くことに決めました。
「実力不足ですが、何か?」
こんにちは、表面上は未熟者を装い、お腹の中は慢心の塊のような人格を持つタケシマ腹黒アキラです。
今年の2月から5月にかけて、スイス→フィリピン→ラスベガス→フィリピンを旅して、大道芸で当面の生活費を稼いできました。
生きて、日本にいることがまるで、奇跡のようです。
日本に帰って、パフォーマンスを休止し、派遣で働きながら、新聞や本を読んだり、メルカリで物販活動を実践したりと勉強をしていて、気づかされることが、「おめえ、ほんとうに実力不足なのに、ようやったわ」ということ。
多くの方々から、応援、助けをいただいたおかげです。
さて、本題です。
【パフォーマンス活動休止期間を延長し、本格的に働くことに決めました。】
いままで、犯してきた自分の罪を清算しなければ、ならないことに気づかされたからです。
この世の中は良くも悪くも“お金”がものごとを支配している。
海外でお金が手に入り、生活ができた理由は何がなんでもと死にものぐるいでやったことで、あの人にあげようと思ったからでしょう。パフォーマンスに価値がついたわけではない。
もし、このまま、自分の力で勝ち取ったんだ…と勘違いしようものなら、人が離れていく状態になることは火を見るより明らかなこと。
そう、勘違いをしていたことに気づいたんです。
「オレは世界を回って、大道芸で生活費を稼いできたんだぜ。だから、オレを褒めろ。」
という我の強さが控えめに言っても、前面に出ている状態にある。
どうですか?
あなたはこの人を応援したいと思いますか?
いや、ぼくはそう思わない。
ただ、過去の栄光にすがりついては、人を集めては信頼を落とすやり方をする人だと、ぼくは思ってしまいました。
はい、素直に現状を受け止め、修行に身を打ち立てなければなりません。
ぼくがこれから、成していきたい「道化師」としての活動にも影響が出てくることも考えました。
ぼくの解釈ですが、「道化師」は人としての在り方を人に説いて回る現代の日蓮のような存在だと捉えています。
道化師を演じるぼくが「こうだ、こうすると良い」と説いて回ったのでは、まったく通用しない。
しかし、「神さまは、あるいは仏さまは、キリストはこうおっしゃっている」とつなぐ役割を担う脇役になることで、人に伝わる。
人に自分が信じていることを説いて回る。
道化師は我を持たず、媒介者としての存在であることと信じる。
それがいまのぼくはどうだ?
そうだ、我の強さが控えめに言っても前面に出てしまっているぼくがこれから先、成したいことを成し遂げられるだろうか?
いや、我力に頼っているうちは、成し遂げられないだろう。
ぼくが目指す先には、たくさんの人が集まって、1つのモノ、コトを創り上げ、幸せに、楽しそうにする姿をイメージしている。
うん、描いているイメージに、いまの、このままのぼくが到達することができるだろうか?
いや、ない。
我の強さをなくす修行に入る。
地盤をならすということ。
その上で自己研鑽を積む。
明鏡止水。
無念無想。
澄みきった心でものごとにあたる。
つねに自分を含む周りの人が幸せになっているか、を考える。
きちんとした職業を持ち、日々至誠で素直な気持ちで生き、無私無欲に徹する。
実力不足ですが、何か?
理想とするイメージと現実の姿を比べてみると、あきれるぐらい実力や地位、富がかけ離れてはいるけれど、ぼくはこれからを見据えて、きちんとした職業につく。
なるべく3年以内、いや1年以内に自然に取り込まれている状態になるよう、進めていこう。
いや、いまからだ。
変わろうと思えば、すぐに変われる。
実力不足だけれど、描くイメージに少しでも近くために、ぼくはいまできることをやっていくんだ。