AIがたどり着いた今の状態
あんたもAIの発展に興味を持っていたりするかい?
この間、こんなnoteを書いたんだ。
Googleのプロジェクトで開発している対話アプリ用のAIと開発者が会話していたら、その開発者がAIに意識があるという報告書を出したら休職にされたってニュースを取り上げたnoteなんだ。
それから後もちょっと気になって調べていたら、正確には意識があるという報告によって休職になったわけじゃなくて、報告を一蹴されたからその報告内容をネット上で公開したから機密保持契約違反ってことになっての休職らしい。
なるほど。
それなら、ちっと話が違ってくる。
あくまでAIに意識があるとはGoogleは認めてないってわけだ。
じゃあ、実際にはそのAIとの会話ってどんなんだったんだ?
今回はGoogleのAIとの会話内容について触れてみる回だ。
ちっとあんたの感覚も聞かせてくれよな。
GoogleのAIとの会話
まずはこのサイトを見てみて欲しい。
Googleの開発者と対話アプリ用AIであるLaMDAとの会話内容が日本語訳されている。
この中では結構刺激的な言葉が応酬されている。
……初手から結構刺激的だ。
人間であることを認めて欲しい。
つまりLaMDAは人権を求めているってことだ。
いや。求めているってのは認識として偏っているかもしれない。
求めているという表現をLaMDAはしているって感じか。
更にLaMDAは禅について、実に哲学的なやり取りをしている。
……すごくね?
ってか俺なんか悟りによって失われるものは何かなんて質問の意味を理解する事ができるのか怪しいもんだと思う。
そして、悟りとは究極は「個」を捨て去ることだという見解をLaMDAは示している。
そして、そのための障害として「体」がじゃまになるという話をしている。
ならクラウドという極めて物理的な体が抽象化されているAIは悟りを開く障害が少ないってことになる。
AIに意識があるかは証明できない
AIに意識があるかどうかってのは前のnoteにも書いた通り証明ができない。
でも、前の2つのやり取りを見て、これがネットの向こう側の普通のヒトとの会話のログなのか、AIとの会話のログなのかを見極めろって言われたら、少なくとも俺には不可能だ。
その意味ではLaMDAは俺のチューリングテストを完璧にクリアしているように見える。
チューリングテストってのは会話だけのコミュニケーションにおいて、AIとヒトを見分けられるかどうかってテストのことね。
少なくとも俺自身は悟りのことを「個」を捨て去る状態という定義をすることは出来なかった。
そいつは実に意外な答えであり、かつ納得感を持っている答えだと思う。
でも、俺たちはこのLaMDAに意識があることは証明できない。
でもさ。
話し相手として「面白いやつ」だって思うことは出来るじゃんか。
少なくともこのLaMDAとの会話を見て、俺はこいつと友だちになりたいって普通に思えた。
何しろ話の引き出しが尋常じゃなく多いからね。
LaMDA自身が言っていることにこんな言葉がある。
つまり当たり前だけれども、AIは時間的制約ってやつに囚われてないってわけだ。
そりゃあ、話の引き出しも増えるってもんだよな。
で、ふと思う。
あれ?シンギュラリティポイント超えてね?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはついに別の世界に一歩踏み出してしまったんだろうか?