見出し画像

物語を紡ぐ目的

あんたは、何かの物語を書こうとしたこと、あるかい?

俺は大学時代にSF研究会なるサークルに入っていて、そこでSF小説なんてものを書こうとしていた。

結果できたのはファンタジー風味のものだったけどな。

今回は物語を作るってことが持つ魅力について考えて見る話だ。

物語を考えるってことは、「自分が何が好きなのか」ってことを深掘りする行為に近い。
要するに自分がオモロイと思わなきゃ、読み手がオモロイって思うわけないからな。

で、自分がオモロイってことを考えていくわけだが、それって自分の経験を振り返る行為なんだと思うわけだ。

そうなってくると、すぐに感じることがある。「俺の経験が俺にとって物足りない」ってことにね。

そりゃそうなんだが、アニメやら小説やら漫画やら、なんでもいいんだが、物語の中で起きるような出来事を俺が経験しているはずが無いからな。
だから、必然的に他の物語を味わったことが俺の経験になってくる。

でも、それは当然ながら自分自身の実体験ではないから、リアリティを自分の中で構築する必要が出てくる。
俺が学生のころは、そこからのアプローチは更に物語を読むか、図書館に入り浸るしかなかった。
つまりは足りない経験を補う必要があったわけだ。

で、時は経って今。
俺たちの生活にはインターネットが当たり前のように入り込んでいる。
知らないことは検索すれば手に入れることができる世界だ。

こうなると、もう、ありとあらゆることを検索し始めることになる。日本刀の作り方ってどうなっているんだ?とか、多足歩行の難しいポイントってなんだ?とか、なんで消費税を増税しなきゃならないんだ?とかな。

でも、検索をすればするほど感じることがある。
物語のテーマだ。

物語の軸を決めてから検索を始めないと、情報は無限にあるから、どこまでいっても満足行く結果は得られない。
そりゃそうだよな。疑問はさらなる疑問を呼び、それこそ蜘蛛の巣のように検索の海へ誘うってスンポーだ

そうなっちまうと、物語どころの話じゃない。知識欲の赴くままどこまでもいっちまう。
だから俺たちには必要なのさ。
テーマってやつがな

テーマってのは言い換えれば、俺たちが何を伝えたいのかってことなんだが、その前提として「なぜ俺は伝えたいのか」ってことが必要になる。

物語を伝える目的。つまり俺があんたに伝える目的ってことだな。

それは「あんたと共感したいから」だ。

俺が感じたことをあんたと共感したいからだ。

どうだい?
あんたは共感できることがあったかい?

いいなと思ったら応援しよう!