日常と意味と
あんたは何か夢を抱えて過ごしているかい?
ガキンチョの頃は意味もわからないままに、「なんかすげーことやるおとな」になると根拠レスに考えていた気がするんだけれど、そんなものにはなれないってことを学校の成績表がソッコーで教えてくれたので、俺はめでたくもその辺にいるオッサンとして生きながらえている。
考えてみれば、俺ごときに教育と言う投資をしてくれた両親に感謝ってやつだな。
でも当然ながら、その投資を受けている真っ最中はそのありがたみなんてのを感じる余裕もなく、ひたすらに勉強に次ぐ勉強って状況に耐えていた記憶しかない。
なんか「このページの英単語を暗記するまではこのエキスパンダーを引っ張ったまま離さん!!」とか言いながら物理的に頭の中に情報を突っ込んでいた気がする。
実にバカだなw。
今回はそんな身の回りの環境と自分の抱える夢ってやつの関係について考えてみる回だ。
ちっとあんたの中にもある「夢」ってのを眺めてみようぜ。
各々の立場と置かれた環境
今回のこのnoteの切っ掛けは、森の海月さんが参加してくれた俺の個人企画「ミヨコそこに座んなさい」企画の記事なんだよね。
この企画は自由に設定された架空の人物「ミヨコ」に対して座右の銘をぶつけてこうぜって言う素敵企画だ。
#自分で言うな
まあ、気が向いたら参加してみてくれよな。
この物語ではミヨコは中学生で高校受験を控えている学生さんとして描かれている。
これを読んでくれているあんたは「まさに当事者」ってヒトもいるかもだし、「そんな事もあったよなぁ」と懐かしく思い出すヒトもいるだろう。
俺がこのnoteを読ませてもらって一番印象に残ったのは「日常の中で夢を意識し続ける難しさ」ってやつだったんだよ。
日常ってのは実に現実的で、時に暴力的であり、時に優しく俺たちを包み込んでくれる。
それらの出来事の多くは俺たちが持っている感性なるフィルターを経由して理解されるので、同じ出来事や環境に置かれたとしても、その時点での自分の状態によっては、ネガティブにもポジティブにも変換されて理解される。
そして、どう解釈しようと日常の状況は刻々と変化し続けて、俺たちがその意味を理解するまで待ってくれたりはしない。
なんにも対策を練らないと、その日常と言う「状況」に流されるままに過ごすことになって、「あれ?なんで俺はこんなことしてるんだっけ?」って感覚にさいなまれる事になりかねないよな。
それほどに、俺たちを包み込んでいる「日常」ってのが作り上げている俺たちの立場ってのは強力なものだってことだな。
揺るがない旗としての夢
そんな俺たちを押し流し続ける「日常」だけれども、対抗手段が無いわけでもない。
それが森の海月さんが紡ぎ出してくれた言葉に集約されていると感じたんだよね。
「貴方は大丈夫だから」
なんつーのか、実に奥行きを感じる言葉じゃないか?
例えば「貴方は」とあるけれど、「誰かは」大丈夫じゃないのか?とか。
例えば「大丈夫」とあるけれど、「大丈夫じゃない」ってどういうことなのか?とか。
そう言う真綿で首を絞めるような現実が、まるで霞のようにその言葉の向こう側に感じ取れる。
でもね。
それでもだ。
「貴方は大丈夫だから」
その言葉が与えてくれるものってのは確かにある気がするじゃんか。
なんで大丈夫なんだ?
自分が何をしているから大丈夫なんだ?
いろんな疑問がその言葉の先に感じられるとは思う。
でも良いんだよきっと。
大丈夫なんだから。
あえて言うなら「生きているんだから大丈夫」ってことなのかもな。
「生きている」ってこと
この「生きている」って状態。
寝て、起きて、食べて、寝る。
日常ってのはややもすればこういうことだけに自分の時間をすりつぶす状況を作り出すことってあるよな。
もちろん、寝ることも起きることも食べることも重要なことだ。
その各々に何らかの意味を見出すことだってあるだろう。
美食家ってのが存在できるわけだし、居眠り家ってのがいてもおかしくないよな。きっと。
大事なのはその「生きている意味」ってやつに自分が納得できているかってことなんだろうな。
そしてこの物語のミヨコは今日もその「意味」を探りながら日常を暮らしていくんだろう。
なあ、あんたはどうだい?
あんたの生きている意味ってのを言葉に出来そうかい?
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