勉強をする理由
あんたも子どもの宿題とかの学習風景を眺めることがあるかい?
小学生の息子の宿題も高学年ともなると、それなりの歯ごたえがある問題がちょいちょい出てきているっぽい。
実際「納得できない」って言われて見せられた算数の問題は、納得させるために30分かかっちまった。
俺そのものが衰えているってのもあるけれどさ。
今回は、そんな子どもの勉強ってやつを眺めてみる回だ。
ちっと勉強がなんで必要なのかってのを考えてみようぜ。
四則演算以外の算数
俺個人の感覚で行けば、四則演算以外の算数ってのは実社会で使うことってほぼ無いと思う。
二次関数とか図形問題なんて、実際の仕事で使うシーンってどういう職種ならあるんだろう?
教員とか研究者くらいしか思いつかない。
義務教育とされる算数、数学の範囲ですらこんな感じだと思うんだよな。
いわゆるR&D部門のヒトだって「どういう技術を組み合わせれば価値を生み出せるか」は考えても、その思考の過程に二次関数やら図形やら微分積分やらがかまされるってのはちょっと想像できない。
古文・漢文という学問
国語という教科については、めちゃくちゃ必要だと思うんだ。
何しろコミュニケーションの基本である言葉や文章ってものを体験する教科だからね。
でもさ。
古文・漢文ってぶっちゃけ何のために習うんだろう?
古い文献を読むため?
それ、日常生活でやる?
いや、宮沢賢治の作品を原文で読みたいってヒトは趣味としてはいると思うけれど、それって義務教育として誰しもが持っているべき能力である必要なくね?
ましてや、平安時代の文献とかに触れるチャンスすらほとんどないじゃんか。
そんなことやるくらいなら、報告書の書き方の基本くらい教えてほしいよな。
もしか、プレゼンテーションの基本とか。そういうビジネススクールで習うようなの。
社会・理科の必要性
国語算数だけでもこんだけ「使わない知識」があるんだ。
社会・理科についても「使わない知識」は結構ある。
地図記号とか、社会に出てから意識したことあるか?
放物線が二次関数で描かれることは?
コリオリの力やローレンツの力とか意識するか?
もちろん、社会にしろ理科にしろ、世界のありようが勉強で学んだ知識とつながっているってことを意識させるためにはすごく重要だと思う。
それでもその知識を実社会で使うってのはものすごく限られた世界でしかないと言うのが現実だと思うんだよな。
子どもに勉強の必要性を納得させるには
じゃあ、そんな「使わない知識」を勉強しろと子どもに言うためにはどういう理屈が必要なんだろうか?
俺の場合は子どもにこう言った。
「勉強とは修行だ」って。
世の中には理不尽なことがいっぱいある。
そして、その理不尽に対して解決出来ることはほんの一握りだ。
なので、ヒトはその理不尽に耐えることが求められる。
今やっている勉強と言う行為は「理不尽に耐える修行」なんだと。
社会に出たてのヒトを会社という組織で「その人材を雇うべきか」と言う判断をするときに学歴というもので判断する要素は多分にある。
中卒のヒトを雇う企業はそれほど多くないだろう。
でも高校や大学で学ぶ知識はほとんど「使わない知識」だ。
それでも企業が雇うヒトは大抵は大学を出ている、もしくは大学院を出ているヒトをチョイスする。
なぜか?
そこで求めているのは知識じゃなくて「我慢できる能力」だからだ。
そんな感じで息子に説明したら「そうなんだ……」と納得したようなしないような答えを返してきた。
まあ、納得する話じゃないのかもなぁ。
もしかしたら、「理解する力」って意味もあるかもしれない。
初めて知る知識を他の知識で補完しながら発展させて考える能力。
論理的思考ってやつだな。
いろんな分野での学問を学ぶときには、その論理的思考ってのを経由する事が多いもんな。
その訓練をどんだけしたかって意味もあるのか。
なあ、あんたはどう思う?
「使わない知識」を学ぶ意味をどうやって子どもに伝えていけば良いと思う?