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名前に込められた思いとひずみ

あんたは名前について考えることとかあるかい?

いわゆるキラキラネームの子どもたちが話題になったのは1990年代ってことらしいけれど、そのキラキラネームのヒトが30代なかばになろうとしているってことなんだな。

それこそ「読めない名前ですね」くらいのプレッシャーというか感想がぶつけられ続けてそこまで生きてきたんだから今更だとは思うけれど、なんかいらん苦しみみたいなものを抱えてきたのかもしれないなと想像したりする。

うちの息子も、初見で「お?」って思う名前なんだけれど、IMEで一発で変換できるし、読めないヒトは日本語を使えるヒトならほぼいない名前だと思う。
※歴史上の人物名そのままだから

今回はキラキラネームを子どもにつける意味について考えてみる回だ。

名前という俺たちの社会における「しおり」についてちっと考えておこうぜ。


キラキラネームをつける動機

まず、どシンプルに考えてみてだ。
なんでキラキラネームを我が子につけようって思うかからだよな。

想像するに、キラキラネームの持つ副作用って結構あるような気がする。

名前を同級生にいじられることもあるだろうし、何しろ書きにくいこともあるだろう。
パソコンでうまく変換できなくて、いろんな申請のときに「めんどくせぇなぁ」って思うこともあるだろう。

まあ、自分のパソコンなら変換登録しちまえばいいだろってだけかもしれんけれど、公共機関での登録ともなるとめんどくさいことも多々ある気がする。

で、おそらくそのめんどくささについて親のヒトは想像を全くしていないとは思わないんだよな。

きっと、そのめんどくささを超える価値を見出して子どもにキラキラネームをつけていると思うわけだ。

そして、その動機は高い確率で子どもの幸せを願ってのことだと思うんだよ。

キラキラネームで得られる幸福

じゃあ、その幸せってのは何なのか。

例えば壇蜜さんのやっているラジオ番組でこんな記事があった。

苺苺苺………?

記事によると「まりなる」と読むらしい。
いやいやいや、ぜってーに読めない。

でも、このまりなるという名前には実り多かれという意味が込められているという。

思うに、英語圏をはじめとする表音文字での言語圏のヒトよりも漢字を使った名前をつける前提にある言語圏のヒトは名前に意味をもたせることに価値を見出しているってことなのかもな。

俺の知る限りJohnに意味はないし、Charlieにも意味はないと思うんだよ。

日本のメジャーな名前での「一郎」ですら「最初の子」って意味があるもんな。

そう考えると親は子どもに「意味」を授けたいという思いがあるってことだと思えるわけだ。

「意味」を授けられた子ども

じゃあ、その名前に「意味」を授けられた子どもってのはどうなるのか。

逆に英語圏の子どもをはじめとした名前に「意味」を授けられない子どもと何が違うのか。

これは完全に俺の偏見だと思うんだけれどさ。

「意味」を授けられた子どもは家族を背負うことになることが多いと思うんだ。

何しろ、自分の生きる意味を場合によったら生まれる前から決められて生まれてくるわけだ。

そこには親が子に託す思いがあって、子はそれを理解したとき、その思いに答えたいという「欲求」が生まれるだろう。
健全な親子関係が築かれていればという前提条件はつくけどね。

その場合はだ。
たとえキラキラネームでいろんな不都合があろうとも、子にとってはそれ以上の「意味」を引き継いでいるわけだ。

ならそれでいいじゃねぇか。

そうまとめたいところだけれど、そこには一つ条件がある。

「意味」を授ける親の責任だ。

その「意味」を背負いながら生きる子の人生を想像する想像力と言っても良い。

俺たちはこの世に生まれた以上は、その過酷な想像に耐える可能性に対して準備していく必要があるってことなのかもしれないな。

なあ、あんたはどう思う?

名前を「祝福」に出来るのか「呪い」にしてしまうのか。
俺たちは想像していけると思うかい?

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