運が良い原因を考える
あんたの身の回りに自分がダメになっていくことを止められないやつっているかい?
前にもちょっと書いたんだけれども、俺の元同期入社のやつが絵に書いたような転落人生を送っているらしいんだ。
具体的な話はおいておいて、シンプルに自分が回答を導き出せないことってあるって感じたんだよね。
例えば、俺がそいつの立場にあったとして、俺が転落人生を歩まなかったなんてことは口が割けても言えないって思ったんだ。
たぶんだけれど、俺はそいつに比べて運が良かっただけなんだよな。
逆に考えれば、俺を守ってくれた運ってのはどうやって産み出されてきたのかって整理しておくことは意味があることかもしれない。
今回は俺の運の良さってやつについて考えてみる回だ。
ちっと、自分の身の回りにある運ってやつに感謝をしてみようぜ。
家族の運
ぶっちゃけ、俺は生まれの家族にものすごく恵まれたと思う。
ホントに両親も兄弟も、親戚を見回してみても何らかの尊敬に値するようなヒトで溢れている。
このガキンチョの頃に「誰かを尊敬できる」って経験を積ませてもらったのはめちゃくちゃ運が良いと思うんだよな。
で、自分が家族を持つようになった今。
俺は「尊敬される」って状態を子どもに対して与えなきゃならない立場になっている。
そう考えると、俺の息子は「運が良い」って状態になれているんだろうか?
実に微妙だなあ。
いわゆる社会的な成功者みたいなものにはなれていないと思うけれど、たぶん一般的なヒトよりはいろんなことを考える癖がついていると思うので、その意味では特徴的な親という価値観は提供しているかもしれない。
ヒトとの出会い
家族以外でも、俺は結構なバラエティー豊かなヒトとの出会いをさせてもらった気がする。
そりゃあ、コミュニケーションお化けみたいなヒトに比べたらその数は圧倒的に少ないとは思うけれども、少なくとも「このヒトすげぇ」って思ったことは数えきれないほど経験させてもらった気がするんだ。
会社での同僚のすごさ。
上司の政治力。
友人の挑戦しつづける姿。
ご近所さんの社会貢献する姿。
なんつーの?
そう言う「頼まれもしないのにスゲーやつ」ってスゲーじゃん。
※語彙力不足
そうなんだよな。
家族にしても、周囲のヒトにしても、スゲーやつに会うことが出来たってのが俺の運の良さの根元だと思うんだよな。
スゲーやつに会うために
とは言えだよ。
スゲーやつになんてそうそう会えるもんでもないってのは現実としてあるよな。
どうやったら、スゲーやつに会えるんだろう?
これはもう、ホントに感覚でしかないんだけれどさ。
スゲーやつに会うためにはスゲーやつになるしかないんじゃないか?
いやちょっと違うな。
スゲーやつになろうとあがき続けていくのが必要な気がするんだよ。
言葉を変えれば、「行動しつづける」ってやつだ。
俺の身の回りにいるスゲーやつらって、ほぼ例外なくなんかしらの行動を起こし続けているように見えるんだ。
その行動にまるで引き寄せられるようにまた違うスゲーやつが集ってくる。
類は友を呼ぶってやつだな。
俺の同期が犯したかもしれない間違い
で、冒頭の転落人生を歩んでしまっている元同期だけれども、やつの回りにも「スゲーやつ」はいくらでもいたんだと思うんだ。
実際、他の同期でも有能なやつってのはいくらでもいたし、配属先の先輩方の中にも有能なヒトはいくらでもいたと思う。
やつは医療関係のシステム担当だったから、シンプルに学力という面でだけでも有能なヒトもいっぱいいたと思う。
でもやつは、その「スゲーやつ」から運をもらうことが出来なかった。
なぜか?
たぶんだけれども、その「スゲーやつ」と自分が違う世界に生きているって感じてしまったんじゃないかって想像するんだよな。
自分の人生の延長線上にその「スゲーやつ」がいるわけないって感覚。
もっと言うなら「スゲーやつ」と一緒に過ごしたいとは思えない感覚。
劣等感って言葉にまとめてもいいのかもしれない。
劣等感が自分を支配したときに、自分の行動は抑制されていく。
結果として「行動するヒト」は自分の回りから離れていく。
これがやつの選択の一番の間違いだったんじゃないか?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちが運を引き寄せるためにはどんな選択をすれば良いんだろうな?
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