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誰かにおごるって娯楽

SHIBUYA FREE COFFEE、あんたはもう体験したかい?

西野亮廣さんが仕掛ける社会実験。SHIBUYA FREE COFFEE。

誰かにコーヒーをおごる権利を売り出して、その売上でコーヒーを無料で配るってしくみの実験だ。

「コーヒーをおごる」という消費が世の中に根付くかって実験ってわけだ。

実際、この「コーヒーをおごる」権利ってやつは、ちょっと考えられないくらいに売れているらしい。

消費者は「コーヒーをおごる」ことで何を得ようとしているのか。
結構、興味深いテーマだよな。

今回は、SHIBUYA FREE COFFEEを題材に、「誰かにおごる」ことの魅力ってやつについて考えてみる回だ。

俺たちは何を求めているのかって本質がそこにあるような気がするんだよな。

誰かにおごること

あんたも誰かに何かをおごってやったことってあるかい?

元来がケチンボな俺としてはあんまり多くのおごった経験は無いんだが、1回だけ15人くらいの飲み会(焼肉屋)で全額をおごった経験がある。

なんでそんな事をしたのかって言われると、その前の飲み会で現金を忘れて、立て替えてもらったことを先輩に突っ込まれたってのがきっかけだ。

「おめータダ飲みしに来てんじゃねーぞ」ってわけだ。

で、その次の飲み会でその事をいじられて、なんとなく勢いでその場の飲み代を全額俺が払うことになった。ってか払う流れを自分で作った。

はたから見るといじめっぽいって?

まあ、そうかも知れないけれど、その時の何とも言えない感じは決して惨めなもんじゃなかった。むしろ、誇らしい感じで満たされていたんだよね。
この場のみんなの喜びを俺が演出しているって感覚。
これは得難い感覚だったんだよ。

こう言うふうに誰かにおごるってことは、誰かを喜ばすエンタメであると同時に自分自身を楽しませるエンタメであるって要素を持っているんだと思う。

誰かにおごるって楽しみを日常に取り込む

とは言え、毎回飲み会を全額おごっていたんじゃ身が持たない。

この楽しみをもうちっと小分けにしてやれば、この「誰かにおごる」って楽しみを継続的に出来るんじゃなかろうか?

そう考えると、SHIBUYA FREE COFFEEという社会実験は非常に興味深い。

「おまいらが飲んでいるコーヒーはオイラのおごりジャイ!」

ってドヤれる感覚って、なにげに得難い非日常だよな。
その割に、50人にコーヒーおごれる権が1万円ってのは、なかなかにいい感じの相場観だと思う。

適度なハードルによって、誰も彼もがおごれる権に手を出して、運用が回らなくなるわけでもないし、かと言って、高嶺の花よろしく誰も手が出せない金額でもない。

こう言う「おごり」の文化を根付かせることができたら、ヒトとヒトの関わり方の新たな一面を開拓できるような気もするじゃないか。

地域のコミュニケーションツールとしての「おごり」

実際、渋谷という立地でこの社会実験が行われていることには結構な意味がある。

渋谷というありとあらゆる人種が跋扈する場所で、この実験をすることで、どの層がこの新たなコミュニケーションに刺激を受けるのかってデータがそこには生まれると思うからな。

ただ、この実験は渋谷でなければ出来ないんだろうか?

例えば、あんたの最寄り駅の行きつけのバーで「おごれる権」を売り出したら何が起きるんだろうか?

その一杯飲み屋で「このワインは○○さんのおごりです」ってシンプルにメニューに書いてあったとする。

客としては、「なんじゃいこれ?」って思うわな。

そこで店主が「ああ、それはこのあたりに住んでいる○○さんが美味しいって言ってこの店に来る人におすすめだってんでお一人様1杯限りで無料でおごってもらえるんですよ」って言うじゃんか。

そうなると、そのお客としては興味本位で飲んでみたくなるわな。
で、飲んでみて美味しいならその事をそのヒトはきっとSNSで拡散する。
そうすると、その発信を見てお店に来るヒトが増える。
お店としては売上が上がるので良し。
おごられたヒトもちょっとした非日常を手にできるので良し。
おごるヒトもおごる喜びを感じられて良し。

こんな流れが出来る気がするんだよな。

ポイントはおごるヒトにどうやってそのおごられたヒトの反応を届けるかってことかもしれないな。

「感想をfacebookに送ってあげると、小雪の舞う庭で遊ぶ犬のように喜びます」くらい書いておけばいいのかね?

なあ、あんたはどう思う?

このおごりという娯楽は根付かせることができるんだろうか?

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