雇用の流動化という踏み絵
あんたは雇用の流動化ってキーワードを聞いてたりするかい?
みんなが嫌っているようにみえる竹中平蔵さんという御仁がいる。
俺自身も好きか嫌いかって言われたら嫌いって話になると思う。
考え方がワリカシ根っこの方で違うように感じるからね。
まあ、考え方が違うだけで感情的に嫌悪感があるってわけじゃなくて、理解できる気がしないってのが正しいかもしれない。
デービットアトキンソンさんも同じかな。
で、その根っこの考え方の一つに「雇用の流動化」が必要なのかどうなのかって話があるんだよな。
今回はこの雇用の流動化について考えてみる回だ。
ちっと、働くってことについて考えてみようぜ。
経営者側の観点
まずは経営者側の観点で考えてみる。
経営する方から見れば「安い賃金」「仕事の内容ごとに最適なヒトを使いたい」という視点は当然考えると思う。
特に零細企業の場合はその観点がめちゃくちゃ重い。
何しろ売上がそもそも安定していないんだから、正社員という固定費を抱えることはリスク以外の何者でもないからね。
でも売上を安定させるためには、社員の中に溜め込まれたノウハウを活用していくしか無いというジレンマもある。
だからこそ、零細企業を含めた多くの会社では正社員というリスクを抱える選択をしているわけだ。
でも全ての労働力を正社員として確保しようとすると、リスクがでかすぎるからこそ、派遣社員やアルバイトを使ってマンパワーを確保しようって考える。
正社員にはノウハウを貯めてもらっておいてっていう防波堤みたいなものを考えながらね。
つまり、経営者から見たら雇用の流動化ってのはチャレンジをするためのテコみたいな要素があるんだと思うんだ。
その仕事を本当にやって大丈夫か?
それがわからない状態で博打は打てないからね。
雇用者側の観点
で、次は雇用者側からみた雇用の流動化だね。
これは働き方の自由度が増すって観点はあるとは思う。
シンプルに生きることだけ出来れば良いって観点で仕事に割く時間を少なくしていきたいって考え方のヒトはたしかにいるだろう。
それとは別に「やりたい仕事」ってのが働く立場からするとワリカシ頻度高く変化するってこともあるとは思う。
俺みたいにず~っとシステムエンジニアなんて仕事をしていたとしても、相手になる顧客業界によって、作るべきものって本当に千変万化するのよ。
俺の場合はその変化ってのを楽しめている部分があったりもする。
その意味では正社員として働きながら、仕事の内容を変化させていけるってのは得をしている気もする。
ただ、世の中には自分の可能性を追い求めて働きたいってヒトも一定数いるんじゃないかと思う。
なんつーの?もっとダイナミックな変化を求めながら働きたいって感じ?
そう言うヒトにとっても雇用の流動化ってのはメリットがでかいのかもしれない。
とは言え、雇用の流動化が進むことで生活基盤の安定が損なわれるってのも事実だ。
何しろ給与が安定しない。
一億総中流なんてことが言われていた時代に、俺たち日本人は経済規模を爆発的に伸ばしてきたってのは事実だ。
給与が安定しないことには民間消費が伸びていかないってのは歴史が証明していることに見えるんだよな。
個人の成長が企業にもたらすもの
あと、これが俺と竹中平蔵さんやデービットアトキンソンさんとの決定的な考えの違いってことなのかもしれないけれど、「個人のスキル成長の責任はどこにあるのか?」ってことなんじゃないかと思うんだ。
もちろん主体は個人だよ?
どんなことを出来るようになることで、どんな価値を世の中に提供していくのかってのは個々人がよくよく考えていかないとアカンやつだ。
ただ、その思いを束ねて力に変えていくことが企業には求められるし、企業として求めているスキルを伝承し育んでいくサポートってのは絶対的に必要じゃんか。
雇用の流動化によってそのサポートが出来る環境を壊しているように見えるのは俺だけかね?
正社員ですらサブロク協定の名の下、「仕事を時間をかけて学んでいく」ことを出来づらくなっているって現状がある。
俺がワカゾーの頃は残業時間なんて青天井だったから、いくらでも仕事をしてそのやり方を体感する事ができた。
でも今は残業時間を徹底的に管理されて、俺と同じように仕事を学ぶなんてことは出来ない。
アルバイトや派遣社員ならそれはもっと厳しいよな。
つまり企業が個人のスキルを伸ばすことにサポートできる範囲はどんどん少なくなっているってのが現状ってわけだ。
これさ。
「人材」を育てるってことが出来ない状態に突っ走ってないか?
なあ、あんたはどう思う?
雇用の流動化って錦の旗を俺たちはどう考えていけば良いんだ?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?