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自分の中のモノサシを考える

あんたには夢中になれることってあるかい?

ふとしたきっかけで夢中になれることに出会うことはあると思う。
それがゲームだったり、スポーツだったり、何かを鑑賞することだったりとヒトそれぞれだよな。

とあるnoteを読んだんだ。

まっちゃんさんは武道に夢中になれたらしい。
なんかカッコイイぜ。

で、その武道に勤しむ中で他人の評価ってものの必要性に疑問符が出てきたってことをこのnoteでは書いてくれていた。

なるほどなぁ。
武道ってのは自己鍛錬という究極の自己満足であるという側面があるということなのか。
※ここで言う自己満足というのは前にこの記事で書いたようにポジティブな意味。

そこで、ふと考える。
この究極の自己満足のために必要なものってなんだ?ってね。

今回はこの究極の自己満足ってものを手に入れる方法について考えてみる回だ。

ちっと、一緒に価値観ってやつについて考えてみようぜ。

自己満足を評価する自分

まっちゃんさんはこんなふうに上のnoteで締めくくってくれている。

ともあれ、他人の目で自分の人生を測ってはいけないということが今回の根本的なテーマでした。

出典:上記note

なるほど。
自分を評価するにあたっては、他人のモノサシじゃなくて、自分のモノサシ使っとこうぜって話だな。

武道家ともなると、やっぱり自分のモノサシってのがより大事になるってことなのかもしれないな。

でも、たぶんまっちゃんさんはその自分のモノサシってのは武道家に限らずに誰でも大切なものだよって思って書いてくれていると思うんだ。

そこで、ちょっと考える。

俺の中のモノサシって「これ」って言語化出来るか?ってね。

おそらくだけれども、俺の中には実に多くのモノサシがある。

「ヒトに優しくありたい」というモノサシ。
「いつでも笑いたい」というモノサシ。
「仕事をこなす能力」というモノサシ。
「誰かに説明できる能力」というモノサシ。

これらの多くのモノサシは各々が完全に独立して存在しているわけじゃなくて、各々が影響を及ぼし合っている。

あんたも中学あたりでベクトルの勉強したの覚えているかい?
あの中で影響を及ぼし合わないベクトルのことを「直行系」とか言ってたじゃん。

俺の中のモノサシ同士は直行系じゃないって話だ。

でも、言語化出来たモノサシってのが直行系じゃないってだけで、おそらくは直行系だけのベクトルに自分のモノサシってのを因数分解することも出来るはずではある。

ところが、自分の心ってやつをそんなに正確に理解できているわけじゃないから、その直行系要素を導き出すことは、そんなにホイホイ出来るもんでもないとも感じる。

困ったもんだ。

自分のモノサシの一番を決められるか

自分のモノサシの直行系要素を分析できないとして、ならせめて自分のモノサシの優先順位ってのを俺たちは選択できるのか?

実のところ、こいつも難易度が高いと思うんだよ。
なんでって?
だって、モノサシを測るモノサシなんて俺たち持ってないじゃんか。

どれがいちばん大事なモノサシかはわからない。
でも、自分のモノサシってのが大事だってことには変わりがない。

だとすれば、俺たちはどうすれば良いのか?

多分だけれども、自分の中のモノサシを大切にするって意識をするところからだよな。

俺ならこんな感じかね。

優しく出来てるか?
笑ってるか?
仕事をこなす力をどうやって伸ばそうとしているか?
説明できる力をどうやって伸ばそうとしているか?

言語化出来たモノサシを意識する。
その意識の先に自分にとって大切なモノサシってのが見えてくる気がしないか?

何を大切に感じるかってのは俺たちの感情そのものだと思う。
そして、その感情ってのは俺たちの意思ではコントロール出来ない。
喜怒哀楽の感情の発生をコントロールできないのと同じだな。

おそらくだけれども、その時々の自分の感情によって、大切に思えるモノサシってのは変わってくるもんだと思う。

なあ、あんたはどうだい?

今のあんたにとって、一番大切に思えるモノサシってなんだい?

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