今までのやってきたこと、今はできないこと
あんたは自分の衰えってやつを感じることがあるかい?
昔できていたことが明らかに出来なくなったことってあるじゃん。
いや、あるじゃんって言われても、読んでくれているあんたがまだ昇っていく最中ならそんな事わかるかいって話になるんだろうとは思う。
もしあんたが、そんなヒトなら何も考えず昇っていく感覚だけを頼りに進んでいくのが正解だ。
そんなあんたについていくヒトもいて、多くのヒトを幸せに導くだろうからね。
たぶん、かつては俺自身もそう言うヒトだったと思う。
自分の革新していく高揚感に身を任せる事が出来た。
だが時は経ち。
普通に行動することも難儀するようになり、かつては息をするように出来ていたことが出来なくなっていくことを実感する。
いや、まだそんな年をとってるわけじゃないはずなんだけれどさ。
20代の頃当たり前のように楽しめていたことを、今は楽しむことが出来ていないって現実があるわけさ。
今回は老いるってことを受け入れ楽しむ方法について考える回だ。
誰しもが迎える老いという現象について考えておこうぜ。
小学生の頃の俺を思い出してみる
小学生の頃の俺の生活を思い出してみる。
朝から校庭に集まってサッカーをして、休み時間もなんだかんだと体を動かし、学校が終わったら学習塾に向かい、帰りにたこ焼きを食らってかえって寝る。
そんな生活だった気がする。
今思うと考えられんくらいアグレッシブさ生活を送ってたんだよな。
まあ、その時の父親を見ると、俺よか早く起きて、俺が寝るより遅く帰ってくるってのを1年間休みなく文字通り毎日続けていたような感じだったから俺の生活スタイルにはなんにも違和感なかったんだけれどね。
話を戻すと、今の俺は小学生の俺にできていた事は出来なくなっているってのが現実なわけだ。
まあ、そりゃそうだわな。
大学生の頃の俺を思い出してみる
さすがにオッサンの俺と小学生の俺を比べてアグレッシブでないってのはあたり前田のクラッカーなので、大学生の頃の俺を思い出してみる。
何?あたり前田のクラッカーってなんだって?
まあこう言う古からあるやつがあるのさ。
これをもって「当たり前」をあたり前田のクラッカーって言うオッサンの流儀ってやつよ。
#分かれ
で、話が盛大にずれたけれど、大学生の頃を思い出すと実にいろんな奴らとつるみながら楽しんでたと思う。
才能もないのを感じながら小説なんか書いてたし、ひたすらカラオケで叫びまくってたし、なんならテニスとかやって「俺最弱じゃね?」とか言って笑いを取ってたし、意味もなくドライブして知らない景色眺めに行ってたし。
ああ、でも意味もなく友人たちと議論を交わしてたことが一番の思い出かもしれないな。
あんな議論、今同じように出来るかって言われると出来ない気がする。
むき出しの感情で結論も持たないで感情を言葉にし続ける議論。
今考えてみると、あのやり取りは宝物だったんだな。俺にとって。
今の俺を考えてみる
過去の自分を考えてみて、小学生の頃の俺の活動も、大学生の頃の活動も、今の俺には再現する事はできない。
サッカーを小学校の校庭で際限なく楽しむことも出来ない。
そもそも、あさイチで走り回った後に仕事をこなすことも想像できない。
さらには仕事終わりに何かを学びに行くなんてことも想像できない。
大学生のときのように、カラオケ行ったり、テニスしたり、ドライブ行ったりとかもう想像もできない。
カラオケですらもう何年も行ってないし。
たぶん、今じゃ全然声が出ないと思うし。
大学のころは普通にENDLESS RAINとか歌ってたんだけどな。
なにい?知らんだと?
良いから聞いとけ。
俺の歌声とか想像する必要ないからw
でだ。
今の俺には出来ることがものすごく狭まっているわけだ。
もちろん学生時代の俺よか出来るようになったことはあるとは思う。
でも、物理的に出来なくなったことはものすごく多い。
だからこそ思う。
俺が出来ていたことを伝えたいって。
でもさ、俺が出来ていた事ってこれから先に価値をもたらすものなのかって全然自信を持てないってのもある。
いや、カラオケの話は置いておいてくれよ?
仕事で俺が「獲得した」って思ったことをそのまま伝えるってのが、若者に何か価値を与えるのかってのも自身が持てないんだ。
でもさ。
それが出来なきゃ、自分が老いる意味なんて見つけられっこないじゃんか。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは何をどうやって伝えていけば自分の老いに意味を見いだせるんだ?