「関係ある」を捕まえる勇気
あんたも誰かに何かを与える日々を送っているかい?
世の中にGiverだのTakerだのって言葉が普通に出てくるようになってから、「自分が世の中に与える価値」なんてもんについて考える機会はベラボーに増えてきていると思うんだ。
やれ、フリー戦略だとか、キャッシュポイントを後ろにずらすのが良いだとか。
そこで、フト考える。
ありり?
そんなに俺たちの周りの価値観って一定しているんだっけか?ってね。
今回は周りの価値観が千変万化するなかでの自分の価値提供って課題について考えてみる回だ。
またもや答えにたどり着かない話だけれど付き合ってくれよな。
激変し続ける世界
2020年のわかりやすい激変を経て、俺たちの生活環境も様相を変えた。
働き方という意味では在宅勤務なんて勤労形態が常態化して、仕事に対する取り組み方についても今までのやり方が通じなくなってきているってのはあんたも肌で感じているところなんじゃないか?
もちろん、あんたの職場は在宅勤務なんてことが出来ない職種のケースもあると思う。
それでも、ヒトの流れ方がまるっきり変わることでの影響ってのは結構あるもんなんじゃないかって想像するんだ。
例えば、飲食店にはお客が入らなくなるわ、時短営業を求められてまともに商売も出来ない状況なんだってニュースは言っているのを俺たちは聞いている。
当然その飲食店に食材を下ろしている業者も売上が激減していると思う。
それに伴ってそれらの社員さんの給与は減っているかもしれない。
そうなると、そのヒトたちがする消費の方向性も変わっていく。
日常での必需品である食品や消耗品は買うけれども、本やDVDなどの嗜好品は買うことを控えるかもしれない。
逆に在宅勤務をしているヒトは通勤時間が浮いたので、その時間をそう言う知識やら娯楽やらに費やすようになっているかもしれない。
そうかと思えばサブスクリプションでのコンテンツ提供サービスが台頭することで、本屋のような実店舗を抱えている小売店は苦戦を強いられているのかもしれない。
こうして追っかけてみると、本当に世界が姿を変えたと言っても過言じゃないくらいに変化している。
変化し続ける世界への価値提供
で、その変化しまくっている世界を目の当たりにして、自分を眺めてみる。
ビックリするくらいその変化についていけていないって思うんだ。
仕事の内容はここ数年自分でも信じることが難しいくらいに変わった。
1年前はプログラムを仕事で直接組むことが出来る様になるなんて夢にも思わなかったし、更に数年前はプロジェクトの計画立案というPMO的な働き方をしていた。
オッサンとしては変化に対応している方だと思うけれども、それでも世の中の変化について行けているとは思わない。
何しろ世の中の情報量が多すぎて、自分が必要だと思えるような情報を自分の中で処理できていないって実感がある。
自分で拾いに行った情報もそうだけれども、自分のところにプッシュ型で送られてくる情報を咀嚼することもままなっていない。
あんたも日々自分のところに届くメールで「直接自分には関係ない」って切り捨てているものがいくらでもあるだろう?
多分、それって「関係ない」って判定をする能力が俺たちに備わっていないだけなんだよ。
どんな情報も自分に「関係ある」状態にできるし、「関係ない」と切り捨てることも出来る。
ただ「関係ある」状態にするためには自分の労力と想像力を駆使する必要があるってわけだ。
この「関係ある」状態って、なにか?
きっとそれこそが世の中とつながっているってことなんじゃないか?
周りのヒトを眺めていると、「関係ある」を作り続けているヒトってのが一定数いる。
だいたい、そう言うヒトを見で感じる俺の印象がある。
生き生きと苦労している。
多くのヒトと仕事に関わり、多くのヒトと仕事の苦労を自ら捕まえに行っている。
そして、その苦労によって自分を変化し続けている。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは「関係ある」を捕まえに行く勇気をどうやったら持てるんだろう?