悪意に対峙する仕事
あんたの仕事でもいろんな苦労があるよな?
仕事に限らず、学生でもいろんな種類の苦労を経験していると思うんだ。
そう言ういろんな立場での苦労を想像するってのは意味がある気がするんだよね。
その立場のヒトに感謝するキッカケになる気がするじゃんか。
文学科の大学に通っている学生さんの苦労。
市役所に勤めている職員さんの苦労。
現場を駆け回っているカメラマンさんの苦労。
俺みたいなシステム屋の物を作り上げる苦労。
数え上げることが意味を持たないんじゃないかってほどの無数の立場と苦労があるんだと思うんよ。
今回はその苦労の一つを眺めてみる回だ。
ちっと一緒に誰かに感謝してみないか?
泥酔客対応の苦労
今回、このことを考えてみようと思ったキッカケはこの記事からもらったんだ。
タイトルで感じたのは「なるほど、そう言うケースもあるのか」ってことだった。
泥酔してしまった乗客に「終点ですよ」って言っても反応がない。
かと言って、体を揺らして起こして、セクハラ認定されたらたまったもんじゃない。
なにより、そもそも泥酔じゃなくて病気で意識を失うケースもあるだろう。
そんな場合に揺り動かすなんてしたら、命に関わることもあるじゃんか。
そして、バスって言うめちゃくちゃいろんなヒトが乗ってくる場所での運転手さんってスゲー臨機応変に対応しなきゃならないんだろうなって想像できる話だ。
まあ、それにも関わらずその大変さってのに思いをはせることなんてレアなんだけれどさ。
乗車方法の多様性
で、上の記事の内容を読んでみたらだよ。
バス運転手の苦労ってのは泥酔客の対応だけじゃないんだと。
例えば、乗車するヒトには高齢者もいれば、障害者のヒトもいれば、社員のヒトの家族が乗ることもあるんだそうだ。
そのいずれのケースでもデジタルでケア出来るわけじゃないので、運転手さんがその持ち前の経験と勘で対応するんだぜ。
どんだけ神経尖らせて対応しているのかって話だよ。
しかも、社員の家族ってなると「ホントに家族か?」って思うケースもあるんだそうだ。
なにしろ「これ全部家族です」って言って10人以上乗って来る事もあったんだと。
いや確かに何親等までを家族だって言えば良いのかって話もあるけれど、バスの乗降でそんな確認なんてデキッコナイスじゃんか。
あとは、紙の定期券の有効期限を指で隠して乗ってくるヒトもいるんだそうだ。
これさ。
悪意が無い前提で運用されているバス運行がだ。
悪意によって歪められているってことなんだよな。
もちろん、悪意を持っているヒトが問題の根幹だと思うよ。
でも、結果としてその悪意に対峙しなければならないのが現場の運転手さんに求められているってことなんだよな。
ヒトの悪意にさらされるってこと
思うにね。
いわゆる俺みたいなB2B(お客が企業って仕事の形態)のためのシステム屋の場合はだ。
お客様が何らかの悪意を持ったとしても、法的に逸脱した方法をとってまで何かするってことは考えにくいんだ。
何しろお客様も企業をしょってるわけだしね。
ところが今回のバスの運転手さんも含め、一般の個人のお客様を相手にする職業ではそうも行かない。
ホントいろんなタイプのヒトがいるわけだからね。
コンビニの店員さんなんて最たるものかもしれない。
教師のヒトも同じかもしらん。
小売店の店員の皆さんも同じかもな。
ヒトの悪意ってのに触れるってのは、皮膚を焼かれるような感覚に襲われるよな。
そんな文字通り身を焼かれるような立場に追い込まれる仕事。
想像するだけで肌が粟立つ。
そんな仕事を日常的にこなしてもらっているヒトがいる。
あんたは想像したことがあるか?
俺たちの世界がそんなヒトたちの身を焼かれるような思いで成り立っているってことをさ。
涙が出るじゃんか。
感謝したくなるじゃんか。
ホントなら俺らが共有してしかるべき悪意をだ。
「仕事だから」って言って請け負っているヒトが居るんだぞ。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは、どれだけのヒトに感謝を捧げていけば良いんだろうな?