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人間関係のありよう

あんたも誰かに否定されることで傷つくこととかがあるよな。

ヒトの主要な悩みってのは人間関係にあるなんて話はいろんなところで見聞きする話じゃんか。

我が息子もご多分に漏れず小学校の卒業式前の最後の日常クラス活動でクラスメートとぶつかって帰ってきた。

俺の住んでいるところって結構特殊でさ。
公立小学校に通っていた生徒は私立中学に行く生徒以外はほぼ同じ中学に通うことになるんだよね。
しかも、他の小学校からの生徒の合流はなし。

ほとんど小学校と同じメンバーと中学生活を送ることになるわけよ。

これは人間関係をじっくりと育てるには良いところもあるとは思う反面、人間関係が固定化されるという状況なわけさ。

で、息子は俺の息子だからさ。
人間関係の構築だったり維持だったりってのが得意じゃないのよ。

なんつーの?
決まったルールから外れた行動をするやつが許せない感じ?

今回は人間関係を育むってことについて考えてみる回だ。

ちっと、ヒトとのかかわり合いについて考えておこうぜ。


目に見える範囲のヒトとの関わり

まず、考えてみたいのは物理的に自分の目に映るヒトたちとの関係なんだよな。

息子の話でいけば、学校という非常に閉ざされた空間で少数の人間関係のなかで日々を過ごしているわけだ。

これは中学、高校、大学と進んでいくことで自然に関係を持つヒトが増えていくことになるんだけれど、学校生活を終えて社会に出た瞬間にだよ。
いきなりこの人間関係ってめちゃくちゃランダムに広がっていくようになるって感覚が俺にはあるのよ。

なんかの商談があったとしてさ。
今まで一度もあったことのないヒトとなんかの課題についてディスカッションしないとならんことって普通にあるわけよ。

もちろん議論の中身は仕事の種類によって全然違ってくるとは思う。
でもそう言うコミュニケーションの瞬発力みたいなものって求められるじゃん。

当然、うまくいったりいかなかったりするわけだけれど、そんなときってさ。それまでの経験がものを言うわけだよな。

ヒトとの関係がうまくいかなかった経験

まあ、当たり前だのクラッカーだけれどさ。

誰だって人間関係で悩む経験ってしているわけじゃん。

なに?当たり前だのクラッカーの意味がわからなすぎて話が入ってこないって?
よぉしそこに座れ。

………いかん、話が壮絶に脱線した。

いや、つまりだ。
ヒトって生き物がヒトと連携して生き延びてきた以上は人間関係ってのは何にも増して重要な要素なわけじゃんか。

で、その人間関係ってのは、ほぼ確実にうまくいかないことが起きる経験を俺たちは経験しているわけじゃんか。

で、その経験をだ。
俺たちは肥やしにして今を生きているわけだろ?

あのときの言い方はよくなかった。
あのときのあいつの言い分はこう解釈出来た。
あのときの俺のこの言葉があいつのあの言葉を引き出してしまった。

後悔役に立たず。

俺たちはその経験をもとに次のコミュニケーションを作り出せるはずなんだ。

ネットでのヒトとの関わり

でさ。
リアルな人間関係とちょっと違う姿になりがちなのがネットでの関わりじゃんか。

嫌な言い方をすれば薄い。
でもネットでしか言えないような本音みたいなものもそこにはあって、その本音の部分に共感したりする。

薄いからこそ本音を感じることに躊躇しないですむ。

なんとなく思うのがさ。
今の子どもたちは、この「薄くて深い人間関係」ってのをものすごいたくさん経験するんだと思うんだよね。

これさ。
今の大人はなんかアドバイス出来ることあるんか?

いやね。
noteをはじめとしていろんなSNSで反応もらうこともあるし、あきらかにこのヒトはコミュニケーションお化けだって思えるようなコミュ力がえぐいヒトとも会ったりしたよ。

だからネットでの人間関係は意味がないなんて全く思わない。
ただ、扱い方について俺たちは教科書を持っていないんだ。

「こうすればうまく行くよ」なんてことを言うことが出来ないんだ。

まあ、それはリアルの人間関係も同じことだけれどね。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは子どもたちにリアルとネットの人間関係について何をどうやって伝えていけば良いんだろうな?

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