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日常の中に幸せを感じるためにやること

あんたはいったいどんなときに幸せを感じているんだろうな?

一日の仕事を終えて、ぐっと一杯やっているとき?

子どもが楽しそうに何かを創っているのを見るとき?

妻が何となくご機嫌になっているときかもしれないよな?

そんなふうに、俺たちの幸せってやつは割と普通な空間に宿っているものらしい。
でも、あんまりにも普通な空間にあるもんだから、そのことには気づきにくいように出来ている。

今回は日常ってやつを考えてみる回だ。

あんたの日常。あんたが望んだ形にコーディネイトしているかい?

なんでもない普通の中にある幸せ

今回のこの日常ってテーマを与えてくれたnoteがちよこさんによるこのnoteだ。

書くことに一歩踏み出したってのは、なんかグッとくるプロフィールだね。

この中でオッサンの心をチクリとつついたのがこんな表現だった。

初めて2人で訪れた定食屋。
遠回りをして歩いた帰り道。
足を止めて眺めた野良猫。
道中で見つけたカフェ……。
「次はここに来ようか」
あのときの約束を、あなたはまだ覚えているだろうか。
出展:ちよこさんのnote

今が幸せだと確信して、その今の始まりの場所を思うことで更に今という幸せを噛みしめる。

そんな言葉だ。

なあ、あんたはこんなふうに今をまっすぐ肯定できているかい?

日常に幸せを感じるって難しさ

俺たちオッサンはいつだって問題に立ち向かっている。
仕事のことだったり、家族のことだったり、将来のことだったり。
その問題がなくなることは決して無い。
だから、俺たちオッサンは解決しても解決してもなお続く問題解決という戦いを継続して毎日を過ごしている。

戦いの合間のふとした瞬間、そんな瞬間を捕まえて俺たちはふっと肩の力を抜く。

そんな瞬間に幸せを感じることが出来るあんたはきっと人生の勝利者だ。

どこかの誰かの未来のために戦い続けたあんたがあんたを幸せだと言った時、それこそがあんたの人生の勝利でなくて何だって言うんだ。

でも、その瞬間を幸せと感じるためには相当なタフなメンタルが必要だ。
なんつっても、次の瞬間からまた戦いは始まるんだからな。

何?次の戦いのことなんてその時は忘れちまえばいいだろうって?

だからさ。それを出来るやつはタフなやつだって言ってるんだ。

俺たちオッサンは臆病だ。
いつ、家族に不幸が訪れるかも知れない。
いつ、仕事が出来ない体になるかも知れない。
いつ、地震で我が家が潰れるかも知れない。

まだ起きていないことに戦々恐々としながら生きている。
今、目の前にあるものがいつ失われるのかを恐れおののいている。

その可能性を忘れてしまって、いざそのことが起きたときに俺たちは決して後悔したくないんだ。
「ああ、あの時これをやっていれば」っていう後悔をね。

だから俺たちは次の戦いを忘れることが出来ない。
あがき続けていないと絶え間ない後悔が俺たちを支配するって恐怖から逃れるためだけにね。

それでも日常に幸せを感じるために

それでも、俺やあんたは幸せにならなきゃいけない。

俺やあんたには周りの奴らを幸せにする義務がある。
そのためには最初に俺やあんたは幸せだと周りの奴らに「思わせなきゃ」いけない。

そのために俺たちがするべきこと。

幸せだと言葉で言おう。
幸せだと言葉で書こう。
そして、伝えよう。

ありがとう。みんな。

それが俺たちが幸せを感じる第一歩だと思わないか?

だって、俺たちは誰かに感謝するときが一番幸せなときだって知っているもんな。

今日も美味しい酒をありがとう。
すくすくと育ってくれてありがとう。息子よ。
素晴らしい笑顔をありがとう。妻よ。

その言葉こそが、俺とあんたの幸せの入口で、なおかつゴールなのかもしれない。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちの幸せって案外近くにいる気がしてこないかい?

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