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宝探し

あんたも日々、何らかのコンテンツを楽しんでいるんだろうな。

俺は携帯会社にmineoを使っているんだが、そのmineoが最近始めた新サービスにパケット放題っていうやつがある。
通信速度はある程度遅いけれど、携帯電話で動画を見る程度なら問題なく使えて、通信容量を無制限に月額定額で使えるってサービスだ。

こいつを使ってみて、動画コンテンツを通勤時間に楽しむってことが普通にできるようになった。
5Gの一歩手前の4.5Gってところか。

今回は、コンテンツの消費ってやつについて考えてみる回だ。

俺たちがこさえた数多くのコンテンツ、どうなっていくんだろうな?

俺たちが子供の頃のコンテンツ

俺たちが子供の頃に楽しんでいたコンテンツの多くはテレビから得ていたよな。
金曜ロードショーがメインコンテンツの一つだったと記憶している。あんたは何だった?

コンテンツ提供元がテレビなので、当然のように自分のコンテンツ選択権は「その番組を見るかどうか」しかなかったわけだ。
なので、当然の様に友達は同じ番組を見ていて、次の日の学校でその番組について語り合うことができた。

そのことそのものは、いい面も悪い面もある。
いい面としては、同じことを語り合うきっかけが多いので、友達との会話をごく自然に楽しむことができたことだ。

金曜日にやっていたナウシカ見たか?から始まって、王蟲こえー、酸の海ってホントにあんのかな、そのモノ蒼き衣を(以下略)ってなるわけだ。

悪い面は、自分の本当に楽しみたいコンテンツってやつを考えるまでもなく、それなりに楽しいものがテレビから自動的に出てくるってことだ。
この考えるまでもなくってのが曲者だ。

何しろ、何が楽しいかってことを深く考えることもなく「コレが楽しいでしょ?」ってコンテンツが提供されてしまうので、俺たちは俺たちの「好き」に対してオリジナリティを持つ余地がなかった。

俺たちは自動的に宇宙戦艦ヤマトが好きだったし、機動戦士ガンダムが好きだったし、キン肉マンが好きだったし、北斗の拳が好きだった。

オンデマンド時代のコンテンツ

対して、今という時代。
コンテンツの提供元は星の数ほどある。

You Tubeのような一般の人々が提供する動画コンテンツに象徴されるように、もはやコンテンツは一般の人々が自らの意思を持って作り出されている。

このnoteだってそうだよな。文字媒体のコンテンツなんて、本当に多くあって、それこそそのコンテンツに巡り合って、そのコンテンツを好きになれるってことは、ある意味奇跡に近いのかもしれない。

そう言う意味で、このnoteにたどり着いてくれたあんたには感謝しか無い。
楽しんでいってくれよな。

オンデマンド時代において、俺たちはコンテンツを取捨選択する必要が出てくる。テレビのようにつけていれば自動的にコンテンツを提供してもらえるってわけには行かない。

そうやって自動的に得られるコンテンツよりもオモロイものがあることを俺たちはもう知ってしまっているわけだからな。
コンテンツを探しに探検に出なければ、俺たちは宝の山を捨て去ってしまうことになるってもんだ。

ところが、この宝探し、思った以上に難易度が高い。

そもそも「自分にとってオモロイって何なのか?」って質問にあんたは答えることが出来るかい?

それがわかってりゃ、自分のオモロイを追求して、そのオモロイに寄り添ったコンテンツを見つけることはGoogle先生の力を借りれば割と簡単かもしれない。
でも、俺たちはそもそもその「オモロイ」を言葉にできていないんじゃなかろうか?

そんなふうに書いている俺自身ですら、俺のオモロイを言葉に出来ているとはいい難い。
だから、毎日のようにこんなふうに俺の中のオモロイを掘り起こすようなnoteを書いてみている。

一つだけ言えるのは、この宝探しは決して辛いものじゃないってことだ。

インターネットの海をさまよいながら、結局は自分の中の言葉を探しているってのは、なんとも孫悟空がお釈迦様の手のひらを出れない物語に象徴されているような虚しさを伴いながらも、決して不快ではない。

むしろ、答えが自分の中にあると確信して、世界を旅している感覚だ。

このオンデマンド時代は俺たちの中にある「オモロイ」のかけらを世界に探しに行く時代なのかもしれないな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちの「オモロイ」への宝の地図、見つけられそうかい?

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