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経験と幸せと不幸と
あんたは何かをやらなくて後悔したなんて経験があるかい?
実際、やったことを後悔するのとやらなかったことを後悔するのってダメージの質が違うよな。
そう。質が違う。
ダメージの上下じゃないんだよ。
やった行動に対する後悔は「こうすれば良かったんじゃないか?」ってやつだろ?
やらなかった行動に対する後悔は「あのときやっとけば」ってやつだ。
どっちもその時の決断を後悔するってのに変わりはない。
今回はこの決断って行為について考えてみる回だ。
ちっと俺たちの日々の活動を振り返ってみようぜ。
寓話が伝えてくれるもの
今回、このことを考えるキッカケはこの記事からもらったんだ。
いろんな寓話を題材に「行動しないことのリスク」ってのを伝えてくれているんだよね。
ワリカシ読後感が良い記事だと思うから読んでみてよ。
その中の寓話の中に、こんなんがあった。
ちと省略しつつ紹介するとこんな感じ。
成功の秘訣は?
正しい決断だ。
どうすれば正しい決断を出来るのですか?
経験だ。
どうすれば経験を積めるのですか?
間違った決断だ。
この寓話は行動した結果、間違いを積み重ねることで、結果として正しい決断を出来るって話だな。
なんとも皮肉な話だ。
この寓話を読んだときに反射的に思い出したあるアニメのセリフがある。
「人生は絶え間なく連続した問題集と同じだ。揃って複雑。選択肢は極小。加えて時間制限がある。最良の選択を瞬時に選べ。私たちは神ではない。万能でないだけ鬼になる必要がある。」
そして、この絶え間ない問題集を「解かない」という選択肢もあるにはある。
たぶん、その選択肢を取った場合は経験値は積み上げられない。
結果として見える世界観は広がっていかないだろう。
世界観を広げるってこと
そりゃまずいじゃんか。
あんたはそう感じるかもしれない。
上の記事でも、行動をしないことで利益を得られることは少ないって締めくくっている。
たださ。
狭い世界観に閉じこもっていることで得られるものってのもある気がする。
何を言ってるんだって?
経験を積むことで視野が広がる。
結果として見える世界が広がる。
これはたぶん事実だ。
そして見えた世界には多くの幸せと多くの不幸が散りばめられている。
多くの幸せを眺めていればいいじゃんか。
あんたはそう言うかもな。
でもね。
ヒトってのが生き物である以上は不幸ってものの方に目が行っちまう。
なぜって?
生き残るために、不幸を避けるためだ。
見える世界を広げることってのは、世の中にある不幸を真っ先に見据える事になるってことなんだと思うんだよね。
つまり世界を広げないことによって、その不幸を見ないで済む可能性があるってことだ。
不幸を見定めたヒトが得るもの
そりゃあ自分が不幸になるなんてのは誰だって避けたい。
でも、世の中には無数の不幸が散りばめられている。
その不幸が自分に降り掛かってこないかどうかってのは、ぶっちゃけ運だ。
さっき書いた経験によって不幸が降りかかる可能性を低くすることは出来るかも知らんけれど、可能性をゼロにするのは無理だ。
例えばだよ。
あんたの住んでいる地域で洪水が起きたとする。
過去にも洪水が起きていた歴史をあんたは知っていたとする。
その歴史をもって移住を決断できるか?
郷土愛だとか、その土地のヒトたちとの関係性とか。
それこそ「幸せ」が移住って手段を選ばせないだろう。
結果として洪水って「不幸」があんたを襲うことになる。
この場合さ。
「過去に洪水が起きていた」ってことを知っているって状態はあんたに「幸せ」を運んでくれるんだろうか?
たぶん、これは意見が分かれるところだろう。
洪水の可能性があるんだから防災方法を検討出来るはずだって思うヒトもいると思う。
来るべき「不幸」を防ぐ手段を手に入れたってわけだ。
ただ、こういう考え方もあるかもって思ったんだ。
洪水に怯えながら暮らすのって「不幸」じゃないか?って。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは「幸せ」と言う目的を達成するために「不幸」と言う手段を選択する勇気を持てるもんなんだろうか?