ユニークな発信
あんたは自分のアピールポイントって何だと思う?
ネットを使ったSNSが一般化してからこっち、実に多くのヒトが何らかの発信をし続ける世界観になった。
中にはその独自性ってのが受け入れられてインフルエンサーなんて見方をされるヒトもいる。
でも、俺みたいにあんまり多くのヒトの目には止まらないようなやつも大勢いると思う。
この違いって何なんだろうな?
今回は埋もれてしまう発信ってのが何なのかってのを考えてみる回だ。
ちっと、自分の中のユニークってやつを考えてみようぜ。
残念な観光地が量産されている仕組み
今回、この事を考えるキッカケはこの記事からもらったんだよ。
ほほう、残念な観光地が増えているってのか。
なんかテレビのニュースとかでたまに見るハイジっぽいブランコってあるじゃんか。
あの山岳地帯の上を飛び回るような感覚のブランコっての?
とある観光地であのブランコを再現した所、人気が出て1回500円って値段を付けても大勢のヒトが乗りに来たんだと。
そこまでは良いんだけれど、そのブランコが評判だってなった瞬間に他の観光地でもこぞってそれをマネッコし始めたんだそうだ。
結果として、そのブランコはユニークなものではなくなってしまって残念な観光地に成り下がっているってんだよね。
自分の発信について考えてみる
これってさ。
俺たちの発信についても同じようなことが言える気がしないか?
俺の発信は何かをリライトしている感じではないから、その意味ではユニークではあると思う。
でも、俺の個性ってのをわかりやすく表現できているかって言うと、それが出来ていないから俺はインフルエンサーではないって状態なんだろうとも思う。
あえて言えば俺の「考える」ってスタンスはユニークだとは思うけれど、決してそれはわかりやすくはない。
つまりはコンテンツとして楽しむにはハードルが高い建付けになっているってのが実情なんだろうな。
写真系のコンテンツ
俺はやっていないんだけれど、Instagramのような写真を中心とした発信の場合はユニークになるのって文章以上に難しいところがある気がする。
何しろ「映える」ものってのは写真を撮っているヒトが作ったものじゃなくて、他のヒトが作ったものだもんな。大抵は。
しかも、「映える」ものってどこかの商品だったり、風景だったりしたら、そのものに接触する機会があれば、誰でも同じコンテンツを作れちまう。
その前提で写真系の発信でユニークさを出すってのは結構な難易度だと思ったりするんだよな。
動画系のコンテンツ
これもまた俺はやっていないけれど、動画系のコンテンツ発信をしているヒトも結構いるじゃんか。
こいつに関しては、ホント玉石混交だよな。
「ゆっくり」みたいな統一のフォーマットを経由していても、ユニークな動画もあるし、全くユニークではないものもいっぱいある。
リアクション動画みたいに何かしらの一般的なコンテンツに対する反応を動画にしているヒトも実にユニークな感想を伝えてくれるヒトもいれば、まったくテンプレみたいな反応をするヒトもいる。
言論系の発信をしている動画でも、単純に国会中継の切り抜きみたいなことだけしているヒトもいれば、自分の言論をひたすらに表現することでユニークさを醸し出しているヒトもいる。
なんとなく思うのが、いわゆる「顔出し」をしている動画の方がユニーク性は出しやすい気がするんだよな。
名前を覚えていなくても、「あ、このヒトね」って思うじゃんか。
文章系のコンテンツ
その点、文章での「あ、このヒトね」って表現ってなかなか厳しい。
そもそもnoteでって話で考えると、タイムラインに現れるのってトップ画像とタイトルだけなんだよな。
タイトルと言うところでユニーク性を出すのって、たぶん無理ゲーだ。
もちろん「知りたいこと」があるヒトに向けた発信ならキーワードをちりばめるとかは出来ると思うけれど「個性」を込めるってのは難易度高めだよな。
となるとトップ画像ってことになるんだけれど、その意味できゃらをさんはユニークさを表現している成功例だと思うんだよ。
割と高い頻度で自作のイラストをトップ画像にしてくれているんだよね。
なので、しっかりと「あ、きゃらをさんだ」ってわかる。
その点、俺はぜんぜん俺を認識できるトップ画像に出来てないなぁ。
と思って、ちょっと前からトップ画像にとりあえず自分のアイコンを混ぜ始めてみた。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちの発信を「俺たちが」しているって認識してもらう工夫って何があるんだろうか?
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