仲間との別れ
あんたにとって、あんたが属しているチームってのはどんな存在なんだろうな?
チームにはリーダーがいて、そのヒトを支えるサブリーダーがいて、実際の作業をこなしているメンバーがいる。
システム屋の場合は、プロジェクトを基本に動くことが多いんだ。
なので、そのプロジェクトごとにリーダーが変わり、サブリーダーが変わり、メンバーが変わる。
なので、仕事とメンバーが固定されることは少ないんだよね。
この人間関係が固定されにくいというのは考えてみると結構特殊なのかもしれないな。
想像することしか出来ないけれど、例えば飲食業だったら、店長が栄転なりなんなりで抜けるとしても、そこの店のリーダーはその店のヒトがなるだろ?
システム屋の場合、プロジェクトが終わったら、別のプロジェクトに「必要な部品」としてヒトがあてがわれる。
組織としてのヒトの連続性ってのが薄いんだよね。
それでも、俺には忘れることが出来ない仲間ってのが記憶にあるんだ。
今回は仕事仲間について考えてみる回だ。
ちっと改めてあんたの仲間について考えてみようぜ。
フリューゲルスというチーム
あんたは横浜フリューゲルスというチームのことを覚えているかい?
サッカーJリーグでかつて存在していたチームの一つなんだけれど、ある日突然「マリノス(同じ横浜を拠点にしているチーム)と合併します」なんて報道が出てきた。
当時はJリーグの黎明期で、まだサッカーが日本の中でプロスポーツとしてどう受け入れられるのかが不明瞭な時期だったと思う。
で、なんかネットをうろついてたら、こんな記事を読ませてもらったんだ。
選手も監督もこの合併についてのことを最初に報道で知ったっぽい。
で、説明を色んなヒトに求めても「決まったことだから」みたいになっちまってたんだそうだ。
それを聞くと「そりゃあ無いよな」と思ったわけよ。
サッカーチームってのは文字通り自分たちの旗の下に魂を捧げるような思いで試合に臨み続けているわけじゃん。
それをある日突然、事前の説明もない中で「オマイらの旗は下ろします」なんて言われた日にはだ。
「俺たちはなんのためにやってきたんだ!」と言いたくもなるわな。
プロジェクトが中止される意味
フリューゲルスの場合は、チームのリーダーである監督ですら状況を知らされていなかったわけだ。
リーダーが事前に状況を知らされていないってことはメンバーは絶対に状況を知ることが出来ない。
つまりチーム丸ごと組織に切り離されたことを意味する。
そんな状況になったらチームを構成するヒトたちは誰をどうやって信じることが出来るんだろう。
俺たちシステム屋の場合出考えるとさ。
割とプロジェクトを取り巻く状況ってのをメンバー一人ひとりが捕まえる事が出来るってのはあるんだ。
何しろプロジェクトを構成する相手の組織ってのの都合を把握してシステムを作るわけだからね。
だからフリューゲルスのように青天の霹靂でチームがなくなるなんてことはほぼ無い。
覚悟を決めるタイミングを手に入れることが出来るわけだ。
覚悟を決めるタイミングですること
プロジェクトはそういう中止なんて特殊状況なんて起きなくても必ず終りがある。
PMBOKというプロジェクトマネジメントの教科書みたいなものでも「プロジェクトは必ず終わりを設定する必要がある」と書かれているしね。
終わるために始める。
それがプロジェクトってわけだ。
言い換えれば「別れる前提で出会う」ってことかもしれない。
俺も今まですげー数のヒトといっしょに仕事をしてきた。
顔も思い出せないヒトもいれば、絶対に忘れることが出来ないヒトもいる。
それだけ多くのプロジェクトに関わらせてもらったってことだと思う。
つまり、それだけの「別れ」を体験してきたってことだ。
中には会社どころか違う国に旅立っていた仲間もいる。
たぶん二度と仕事を一緒にすることなんて出来ないだろう。
でもね。
すげーやつだったんだよ。そいつ。
人格も能力も。
もう10年以上も昔のことだけれど、そいつがプロジェクトの終わりに合わせて会社を辞めるといったときの喪失感は、今でも覚えている。
プロジェクトが終わるってことは、そういう別れに対する覚悟を決める時間を作る必要があるってことなのかもしれないな。
なあ、あんたはどうだい?
あんたにとってチームってのはどんな存在だと思う?