救急搬送の思い出
あんたは日々健康に過ごしているかい?
俺はここ最近、まあまあ体調が悪いわけなんだよね。
どのくらいの体調なんだって?
そうだなぁ。
目が霞んで、手足が痺れて、寝起きに体が痙攣して、30分も出歩くと汗が吹き出して、それを超えて歩くと息切れして声も出せなくなるくらいかね。
あ、あと地味に肌荒れがエグいかな。
で、この間。
その痙攣があんまりにも酷いんで、妻が救急相談センターに問い合わせをしてくれたんだよ。
したら、救急案件だってんで救急車のお世話になることになったんだ。
正直、救急車のお世話になるほどじゃないとは思ったんだけれど、まあ俺自身の判断なんて当てになるわけでもなし、何より痙攣が酷くてまともに行動出来ない感じだったし、結果として救急車のお世話になったんだ。
今回はその一連の救急騒動の記録だ。
まあ、オッサンの不健康話に付き合ってくれよ。
診断結果
結果としてはこの痙攣の原因ってのはよくわからないってことだった。
肝機能がやばいことになっているってのは前からわかってたんだけれど、それと痙攣には因果関係はないらしい。
血圧も上がっちまってたけれど、それとも関係は無いらしい。
そうかぁ。
つまり「治らない」ってことね。
まあ、オッサンともなれば、そういう事も出てくるってやつだな。
とりあえず生理的食塩水を点滴でつっこまれて処置はおしまい。
まあ救急処置としてはそれくらいしか出来ること無いもんな。
いやはや。
救急搬送なんてされるもんじゃないってこったな。
繰り返される同じ検査
痙攣のせいであんまり正確には覚えてないんだけれど、少なくとも3回は血中酸素濃度(あの指を挟むやつ)を測ってもらったし、血圧は2回測ってもらった。
あれ?脈拍は救急車の中で1回測られただけだったな。
思ったのが救急車で取られた情報を病院の救急医療のメンバに伝えられているのは見えたんだけれど、それを基本的に信用することなく同じ検査をするんだよな。
たぶん緊急性のある疾患かどうかを救急車のヒトは判断しないといけないから各種検査をするんだろうな。
運んでいる間にポックリなんてなったら目も当てられないもんな。
で、救急医療現場としても、救急車での検査情報を鵜呑みにしましたってなると、いろいろ問題があるってのもあるんだろう。
それとは別に、医療報酬のこともあるのかもしれない。
まあ、それは救急医療現場のヒトたちが直接意識するもんでもないとは思うけれどね。
ただ、ルールとして定められていることを淡々とこなしているってのが実態な気がするんだよな。
まあ、医療施設の経済的な困窮は枚挙にいとまがないもんな。
いずれにせよ、現場のヒトたちを非難する要素はこれっぽっちもない。
こなすべきことをこなしてもらっているってことだもんな。
妻と息子への感謝
今回のことで思ったことがある。
たぶん、一人暮らしをしていたら俺はなにもせずにのたうち回っているだけだったと思うってことだ。
俺の判断では「いつものことだ」で終わってたと思う。
そしてグラデーションのように真綿で首を絞められるように、体調が悪化していったんだろう。
いや、診断結果として「わからん」ってなってるから、意味があったのか?って言われるとちとわからんけどね。
それでもさ。
妻と息子がいてくれる安心感ってのがあったのは事実なんだ。
なんつーの?
俺に何があっても、妻と息子が世界にいてくれる安心感ってのか?
妻にとっても息子にとっても俺ってまあまあなストレス源だと思うんだよ。
なんでもかんでも理屈を求めて「それは正しいのか?」と問うてくる家族。
この間も妻に「あなたと話をすると仕事をしているみたいでいや」って言われたっけか。
まあ、そういうモードに入ることもあるんだろう。
それでもね。
俺の体調不良について思いを馳せてくれるわけよ。
感謝だよな。
なあ、あんたはどう感じる?
俺たちの周りにいる様々なヒトたちの思いってのをどう解釈する?
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