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子どもたちのネガティブワード

あんたは面倒だと思うことに出くわした時にどんな風に振る舞っている?

最近、息子が学校の宿題やら習い事の宿題に辟易とした態度を露出するようになってきたんだよな。

俺のはるかなる記憶では、俺がガキンチョの頃に学校から出た宿題なんてお茶の子さいさいへのかっぱだった記憶しかなかったんだよな。

まあ、漢字の書き取りは極めて嫌だったけれど、だからこそいの一番にやっつけちゃって、さっさとゆっくりしてたいタイプだったけれどね。

でもまあ、今の子どもたちにも同情の余地はある。

今回は今の子どもたちが前向きになる難しさってのを考えてみる回だ。

前向きになることを経験できないまま大人の責任だけが降ってきたらたまったもんじゃないよな。
ちっと考えてみようぜ。

「嫌だ」という感情を表現する息子

ここ1年か2年位のことだと思うんだけれどさ、息子が気がつくと「嫌だ」「行きたくない」「疲れた」とかのネガティブワードを連発するようになっているんだよな。

特に今年の夏休みはひどかった。

一応、騒ぎとしては落ち着きを取り戻しつつある流行り病に対する世の中だけれども、まだまだ子どもたちが直接会って遊ぶってのが状況的には厳しいって判断をする親御さんも多い感じがする。

あと、物理的に子どもたちがどっかに集ってダベるみたいな場所がほとんどない。

そうなると家に引きこもって本人的にはやりたくもない宿題を親から「やりなさい」とプレッシャーを書けられ続け、しかも家族と言う非常に狭い人間関係の中に閉じ込められるようなもんだから、閉塞感にも見舞われていることだろう。

その結果としてのネガティブワード。

こいつはちっとヘビーだな。

一人遊びを後押しする環境

で、そんな環境の中、息子が見出した癒やしってのが一人遊びってわけだ。

しかも、その一人遊びのためのコンテンツの数は増加の一途だ。

オンデマンドの映像サービスは日々いろんなコンテンツを入れ代わり立ち代わり提供してくれるし、You Tubeを始めとする動画サービスも同様だ。

ゲームもマインクラフトみたいにドンドコアップデートされて新しい娯楽を提供し続けてくれる。

一見して、一人遊びってニーズに世の中が対応して行っている様に見えるわけだ。

考えてみれば「お一人様向けサービス」ってのが話題になって結構経つよな。

ワカゾーの頃、初めて一人でしゃぶしゃぶ食べに行ったときには「勝った」とか訳の分からない勝利に酔いしれたもんだ。

一人遊びの厄介さ

で、この一人遊びの厄介なところとして、「歯止めが効きにくい」ってのがある気がするんだよね。

歯止めが効かないから、当然ずっとやり続けることになるわけだ。
他のヒトが止めてくれない限りね。

で、息子のケースでは俺はあんまり歯止めにはなっていないと思う。

夢中になることそのものはポジティブな要素もあると思うから、せいぜいが「やることやってからにしろな」くらい言うだけだな。

当然息子はずーっと動画やらアニメやらゲームやらをやっているわけだけれど、ここで俺たちも経験してきた実に理不尽な感覚にさいなまれることになる。

疲れるんだよ。

リフレッシュのための行為であるはずの一人遊びが自分自身を疲弊させてしまうんだ。

一度この「一人遊びで疲れる」を感じちまうと、もう出口がない。

何しろリフレッシュする方法がもう無いんだから。

他のやるべきことが残っていてもそこに手を出す気力を振り絞るのは容易なことじゃない。

しかも動画とかの刺激が脳に残ったままで、ある意味での緊張状態が維持されているから昼寝をすることも出来ない。

さらに一人遊びと言うある意味何の生産性もない行為に時間を費やしたと言う現実が息子を苛む。

こうなっちまうと、もう息子としてはネガティブワードを口にするしかやれることがないんだよな。
その言葉が更に自分を追い詰めてしまうと言うことをわかっていてもね。

なあ、あんたはどう思う?

俺たち大人は子どもたちをこの負のスパイラルからどうやって救い出せるんだろうな?

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