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2000日の投稿が見せる過去と未来

あんたは自分の行動を誇りたくなることってあるかい?

オッサンともなると、日々の行動について誰も褒めてくれもしないし、指摘してくれるヒトも少ない。

なので、たまに自分のことを自分で褒める必要があるわけだ。

なに?みっともないじゃんかって?
そうなんだよ。みっともないんだよ。カッコ悪いんだよ。

でもそれがさ。
もしかしたらあんたにとって「このオッサンみっともねぇなぁ」って笑顔につながるなら、それはそれでアリだと思うんだよな。

ということで、今回は俺のことをみっともなく自分で褒める回だ。

ちっと滑稽なオッサンで笑顔になってみないか?


連続投稿2000日

2024/05/01。
いわゆるメーデーってやつだな。

俺は参加したことがないんだけれど、集会とか今でも実施されているんだな。

で、そんな労働者の集会のこととは全く関係ないんだけれど、2024/05/01の投稿を持って、俺のnoteの連続投稿日数が2000日になったらしい。

2000日連続投稿

いや、冒頭に書いた通りカッコ悪いんだけれどさ。
我ながら2000日ってエグくね?

土日とか関係なく、連続2000日だぞ。
旅行とか関係なく2000日だぞ。
残業とか関係なく2000日だぞ。
予約投稿とかじゃなく、毎朝早起きして書いて2000日だぞ。

いやあ、俺偉い!

…………と書いておいてなんだけれど、何が偉いんだ?

読んでもらえている記事

まあ、偉いって言うからには、少なくともその表現が誰かに届いて初めて偉いはずだよな。

で、久しぶりに自分のダッシュボードを眺めてみる。
ホントはアクセス解析みたいなのが出来ると良いんだけれど、noteだとそれが出来ないから、スキを集めた歴代の記事を眺めてみる。

一番スキを集めた記事はこれなのか。

あれ?ダッシュボード上だと92って出てるけれど、これを書いている時点では81になってるな。
noteを離れたヒトの分が少なくなっているのかな?

これが一番スキを集めたってのは、みんな自分の発信について意味を考えているってことなのかな。

この記事では毎日投稿する意味みたいなものについて書いているからね。
ざっくりまとめれば「記憶」と「共感」ってところか。
まあ、このあたりは変わってないなぁ。

コメントを貰っている記事

その「共感」だったり「反応」だったりと言うところで、コメントってのがあるじゃんか。

一番コメントもらっているのはこの記事だった。

これはあれだな。
note黎明期にnoteの機能についてみんなであーでもないこーでもないと考えていたやつだな。

みんな「noteをどうしたら良くなるのか」って考えて楽しんでたんだよ。

確かに、note運営さんも今みたいに組織がかっちりしている感じじゃなかったので、ユーザーの利用に伴う感想ってのの意味が大きかったんじゃないかって想像する。

なんつーんだ?
勝手に「みんなで昇っていく」感覚があったと思うんだよな。

そういう意味では今よりもSNSとしてのコミュニケーションがnoteというプラットフォームで濃い時だったのかもしれない。

今はどっちかって言うと、いろんなヒトの意見が置かれているアーカイブみたいな感じが強いもんね。
それはそれで意味があるとは思うんだけれど、このころのコミュニケーション。楽しかったんだよなぁ。

自分のスキな記事

でだ。
色んなヒトが反応してくれている記事ってのもそうだけれど、自分自身で気に入っている記事ってのも大切だよな。

連続投稿2000日ともなると、自分の書いた全部の記事を読み返すことも事実上難しいので記憶に残っている記事を探してみる。

ただなぁ。
気に入っているってのが、「その時考えていたこと」ってんじゃなくて「その時の感情」だからキーワードにならんのだよ。
検索出来ないってわけだ。

それでもなんとなく自分のnoteを眺め直してみて、こんな記事は結構俺好みかもしれないと思ったんだ。

ヒトを見ろよ。
そんなことをある意味感情的に書きなぐっている記事だ。

見られるではなく見るで生み出す価値。

ある意味、noteでなら誰かの記事を読んでもっと何かを感じろよ。
そう、過去の俺は俺に言っているってわけだ。

若者の君へのメッセージがそのメッセージを書いたときよりも老いている今の俺に届くってのは実にシュールだよな。

そういう意味では、毎日投稿は未来の俺へのメッセージってことになるのかもしれない。

なあ、あんたはどう思う?

過去の俺や俺に関わってくれたヒトの思いをこれからどうやって紡いで行こうか?

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