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[俺たちにとって]敵と味方なんて分類[相手と自分の意味]

あんたは自分のことを「強い」って思えているかい?

ぶっちゃけ、常に「俺、最強」ってやつがいたら、お近づきになりたくないタイプのヒトだと俺は思ってしまう。
つまりだよ?
「俺、最強」の状態になっているヒトがいたとしてさ。
そのヒトって周りの状況を「否定」することしか出来ない状態に陥っていると思うわけよ。

だってそうだろ?
「最強なのは俺」それ以外は「弱者」何だもん。

弱者ってのは守るべき存在であって、ともに何かを作り上げる存在じゃない。

少なくとも強者だと自分を認識しているヒトにとっては、多分そのあたりの認識はゆるぎようがない。
ってか、揺るがせるキッカケをもつことを許されない。

なんでそんなことをいきなり考え始めたんだって?
ももまろさんがこんな記事を紹介してくれていたんだよ。

ひーさんの記事を読ませてもらってだ。
改めて考えてみたのよ。

「強い」ってなんですか?って。
はじめの一歩ばりに考えてみたわけよ。

「強い」ってのは基本的にはポジティブな言葉のはずだ。
家族には「強く」あってほしいし、仲間だって「強い」やつであり続けて欲しい。

ところが、敵が「強い」となるとちっとばかり話がこんがらがってくる。

今回はこの「強い」と言う状態について考えてみる回だ。

ちっと一緒に「俺たちはどうなりたいのか」を考えてみようぜ。


敵って何か

まず一等やっかいな言葉からやっつけていこうとドン・キホーテよろしく無茶な俺は考え始めるわけだ。

あんたにとっての「敵」ってなんだ?

仕事における競合他社のヒトか?
自分の意見を否定してくるヒトか?
自分の仲間や家族を傷つけるようなことをするヒトか?

これさ。
全部YESでありNOなんだよな。

例えば競合他社のヒト。
おそらくは同じ仕事を取りに行こうとして、俺は俺なりに、競合他社のヒトもそのヒトなりに工夫をこらすと思うんだ。

俺はシステム屋だから、システムの提案をすることがあるわけだけれども、場合によって競合他社の提案書ってのを見せてもらえる事があったりするのよ。

その資料を見て俺は愕然とするわけだ。
「俺の考え方とぜんぜん違うやり方を考えてる!」ってね。

直接的には競合他社のその独自性を含んだ提案が採用されたとしてだ。
それって「敵」か?って自分の胸に手を当てて考えてみるわけよ。

違う気がしないか?

見方にもよるんだろうけれどさ。
明らかに「自分にない視点」がそこにはあるわけじゃん。
そしたとしたら、その時点で「敵」というより「教師」と言う意味が出てくるわけだ。

自分に対する否定

そう考えるとだよ。
俺たちは日々の生活の中で、実に多様な「嫌な思い」ってのをしているわけじゃんか。

それが仕事仲間からの言葉だったり、顧客からの言葉だったり、家族からの言葉だったりするわけだけれども、俺たちは弱いからさ。
反射的に感じてしまうわけだ。

「こいつは敵だ」ってね。

ところが、さっきも書いた通り、その「否定」の中には俺たちが持っていない何かってのが含まれていると思うんだよな。

何?
じゃあ、すべての自分に対する否定を受け止めろって言ってるのかって?

そいつは無理な相談だ。
だって俺たちは「弱い」んだから。

俺たちにとっての課題は「弱い」ってことを前提に相手の言葉ってのをどう解釈するのかって話じゃん。

解釈の難しさ

ところが、この「他人を解釈する」ってのがとてつもなく難しい。

だって、その他人の経験を同じ様に経験してないんだから。俺たちは。

そもそも同じ土俵に立つことすら出来ていないってのが現実なわけだ。

じゃあ、どうするのか。
もうさ、「想像を巡らせる」ことしか出来ないと思わないか?

どうして相手は「そう」考えたのか。
どうして相手は「そう」自分を攻撃している様に見えるのか。
どうして相手は「そう」計画を作ったのか。

いやね。
どこまで行っても「想像」でしか無いのよ。

でも、「想像」を諦めるってのは最適手じゃないってのはなんとなく思うじゃんか。

「想像」して「解釈」して「言語化」する。

それしか俺たちに残されている方法って無いような気がするんだよな。

なあ、あんたはどう思う?

相手の「心」ってやつをどうやって解釈していけば良いと思う?

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