見出し画像

犯罪からヒトを遠ざける方法を考える

あんたも日々のニュースを眺めるなかで、「なんでそんな些細なことで人生棒にふってんだ」って思うことがあるかい?

それこそ、数千円のものを盗んで捕まったとか、昔に自分をいじめてたやつを刺しにいって捕まったりとか。

数千円で人生を棒にふる必要なんてありはしないし、昔、自分をいじめていたやつに改めて会いに行くとか、どんだけマゾなんだって話だ。

でも事実として彼ら彼女らはその犯罪に手を染めてしまった。

今回は、そんなやつらの心理を想像してみる回だ。

ちっと、自分がそんな人生を棒にふるようなことをしないためにも考えておこうぜ。

経済的困窮を想像する

実際、数千円を不法に奪うために犯罪を起こしたってニュースは本当に頻繁に見ている気がする。

やれコンビニに強盗に入ってタバコだけ盗んだとか、鰻屋に入って蒲焼きひとつだけ盗んだとか、どんだけ短絡的なんだって思っちまうんだよな。

でも、そのヒトたち一人ひとりを眺めてみると、アラフォーでアルバイトでしか働けていないとか、10代で遊ぶ金欲しさに犯行に及んだとか、実に経済的に困っている様子が想像できる。

そのどちらについても、犯行を正当化なんて出来やしない。
ただ、経済的な困窮は精神力が弱いヒトから社会秩序を破壊するような行動にいざなっちまうってのが現実な気がするわけよ。

今のコストプッシュ型インフレの真っ只中において、時給千円ちょいの所得で食いつないでいくってのが実にしんどい状況なのは確かだと思うんだ。

そのしんどさの中にあって、自分以外の家族を養うなんてのは夢のまた夢。
仮に家族を持てたとしても、その子どもも貧困にあえぐことになる。

子どもの方は生まれたときから貧困なんだから、それを脱出する方法として安易な犯罪を思い浮かべるやつがいても不思議じゃないんだよな。

じゃあ、きっちり所得を得るために子どもの頃から準備しろよって言いたくなる気持ちもあるけれど、そもそもその準備に銭がかかるって無限ループだ。

家族を犯罪に走らせない工夫

とは言えだよ。

当たり前だけれども、自分の家族を犯罪者にしたいわけないじゃんか。

でも我が家もそうだけれども、決して裕福ではない家庭環境のなかで、子どもたちが犯罪に走らない工夫ってどんなことがあるんだろう?

たぶん、夢中になれるなにかってのを共有することなんだろうな。

ぶっちゃけ、これから生きていくなかで子どもたちが受ける不快なことってめちゃくちゃあると思う。

それでも、その不快なこと一つ一つを振り替えって怨嗟の炎を燃え散らかす人生ってのは実にもったいないじゃんか。

そんなことに時間を費やすより、オモロイと思えることに没頭していた方がきっと幸せな人生ってやつに近づく気がする。

じゃあ、どうやってその没頭出来ることを見つけるのか?

きっと、子どもの癖みたいなものを把握するところからなんだろうな。

子どもの癖を見る

例えば、わかりやすいところでいけば「絵を描くのが好き」って子どもがいたら、その環境を整えようと思うじゃんか。

他にも「なにかを集めるのが好き」でも「歌うのが好き」でも同じだよな。

つまりは子どもの「好き」を伸ばしてやりたいってのが基本にあると思うわけだ。
でも、この「好き」ってのは実に見つけるのが難しい。

そこではたと振り返る。

あれ?何で俺は今俺が好きなことを好きになったんだっけ?

俺はアニメが好きだ。
俺はゲームが好きだ。
俺は考えることが好きだ。

なんで好きになった?

おそらくだけれども、子どもの頃の行動が原点だと思うんだ。

幼児の頃にはマジンガーZを楽しみに見ていたし、小学校低学年のころには宇宙戦艦ヤマトとはだしのゲンで戦争ってものについて考える癖がついた。

小学校高学年の頃にはゲーム機で遊ぶだけじゃ物足りなくてプログラムを自分で作ったりしていた。

そう考えてみると、俺の今の趣味嗜好ってやつは小学校までに作り込まれているものなんだよな。

逆に言えば、その頃までに夢中になれるものってのができない状態だと、一生夢中になれるものって作れないのか?

たぶん、そんなこたぁない。

妻は大人になってから日本舞踊と出会って師範になるくらいのめり込めたんだから。
でも、そう言うのってなんかすごいレアな気もするんだよな。

その夢中になれるものを見つけられなかったヒトが犯罪に走ってしまうってのが実態なのか?

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはどうやって「幸せ」を見つけられるんだ?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?