会いたいヒト
あんたは人付き合いってのにどんな工夫をしているんだろうな?
ヒトとの付き合いってのは生きて暮らしている以上は避けようもない話だし、なんかしらの工夫をしながら過ごしていると思うんだよな。
普段の生活の中での人間関係もそうだし、ネット上のやり取りでもいろんな工夫をあんたもしているだろ?
特に誰でも発信が出来る世界観だから、言葉の使い方一つとってもなんかしら考えているってヒトは多いんじゃないかって思うんだ。
そんなことを漠然と感じている中でこんな記事を見つけたんだよね。
もう会わん方がいい。
なかなかのパワーワードだな。
曰くこういうヒトらしい。
聞いてない話ばかりする
挨拶がちゃんと出来ない
ヒトの悪口を平気で言う
ヒトによって意見を変える
無意識にマウントを取る
なるほど。
今回はこのポイントで自分を振り返ってみようって回だ。
あんたも一緒に自分を振り返ってみようぜ。
聞いてない話ばかりする
さて、俺は聞いていない話ばかりしているのか?
いやまあ、さんざんぱらこのnoteであんたに向けて聞かれてもいないことをつらつら書いているわけだけれどさ。
文字ベースでの発信だったり、色んな動画の発信ってのは、ぶっちゃけ嫌なら見なきゃ良いってことだから、そんなに不快になることも少ないとは思うんだけれどね。
じゃあ普段の生活ではどうなんだろう?
ぶっちゃけ、俺は「話し始める」ってことがワリカシ少ないと思ってるんだよな。
どっちかって言えば、誰かが話していることに対して感想を話していることが多い気がする。
まあ、その感想が妻に言わせると「異次元過ぎて言っていることがわからない」とか言われるけれどさ。
その意味では求められた言葉を紡ぎ出すって能力に課題があるってことかもな。
挨拶がちゃんと出来ない
この挨拶ってさ。
「ちゃんと」出来ているのか?って改めて聞かれたら「うっ」って詰まる感覚があったりしないかい?
おはようだのおやすみだの、家族との挨拶は普通にしていると思うけれどさ。
仕事での挨拶とか、職場によっては「おはようございます」って言わない習慣の職場とか普通にあると思うんだよな。
もちろん職場によっては挨拶無しで仕事が始まるなんて信じられないこともあるとは思う。
俺の職場はってことね。
フレックスで働いているから仕事の始まるタイミングがぜんぜん違うってのもあるかもだけれどね。
基本的な感覚で挨拶をするってのが「相手の邪魔をする」ってのがあるのかもな。
ってなると職場によって「会いたくなくなるヒト」になる可能性もあるってことか?怖いぜ。
ヒトの悪口を平気で言う
こいつは「悪口」と「批判」ってのを区別しないといけないよな。
でもなぁ、もしかすると「批判」であっても「聞いていない話」なのかもって思ったりもするんだよな。
そう考えると、いろんなヒトの話を聞いてさ。
その感想も下手げに言えないって世界観になってくるよな。
どんな言い方をしても、相手に取ってみれば「悪口」になるかもしれないってことだもんな。
そうなると誰でも発信をする今の世界観では、誰だって「会いたくない」ヒトになっちまうってことか。
なんとも出口のない話だよな。
ヒトによって意見を変える
これさ。
なにげに難しくね?
ヒトによって意見を変えるってさ。
言い方を変えるとヒトの言うことをまともに聞いているってことだろ?
もちろん「YES」が「NO」に変わるような表現には問題があるけれどさ。
日本語って、同じことを言うのでも印象を変えることが出来る言語じゃんか。
これも聞く相手によって捉える印象が変わる話なんだよな。
特に政治周りの話をし始めるとこの印象ってのは千変万化する気がする。
困ったもんだ。
無意識にマウントを取る
これさ。
一番ややこしい気がする。
俺はあんたにマウント取っているって思うかい?
俺はシンプルに自分の感じたことを書いているだけなんだけれど、その感じたことに出来るだけ理屈ってのをつけようとしてはいるつもりなんだよね。
だって、理屈が伴わない意見ってのは理解する入り口がない話だと思うからね。
でもこの理屈ってのに「反論できない」っていう感覚を持つケースもあるとは思うのよ。
これもさ。
「じゃあどうすれば良いんじゃい」ってなるやつだと思うんだよな。
会いたいヒト
そう考えるとさ。
「会いたくない」ヒトにならないためには、ほとんどなんにも出来なくなっちまうってことだと思ったんだよ。
それって全然建設的な話じゃないよな。
だったらどうするのか?
「会いたいヒト」を目指したほうが良いってことだよな。
どうすれば良いんだって?
そりゃオモロイヒトになるしかないじゃんか。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは誰かに会うためにどんなオモロイを感じていけば良いと思う?