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女性兵士に感じる抵抗感

あんたも日々の戦争関連のニュースにさらされているかい?

個別の戦闘状況の悲惨さは俺たちの心を揺さぶり続けていて、実にしんどいことになっているよな。

傷ついた子ども。
涙を流す老婆。
無表情のままそこにうずくまるヒト。

そんな悲惨な状況の中で、ちょっと考えておいたほうがいいのかもしれないって思うことがあったんだ。

女性の兵士って存在だ。

今回は戦争状態における女性兵士ってものが抱えている課題について考える回だ。

実に微妙な話だけれど、ちっと考えてみようぜ。

ウクライナに残れと言われた男性たち

この戦争が始まった頃、ウクライナから女性や子ども、御老体は脱出させて、いわゆる成人男性は国内に留まって戦いなさいよって政府からのお達しがあったってニュースがあったじゃんか。

それを聞いたときに俺が思ったのはこうだった。
「まあ、妥当だよな。そうしとかないとな」
だ。

特に、その感覚に理屈が伴っていたわけじゃない。
単純に戦うのは男性の役割って感覚に従っただけだと思う。

ところが、調べてみると例えばアメリカ軍では18.8%の兵士が女性なんだそうだ。
その中には実際に白兵戦になる可能性のある陸軍も含まれている。

すでに軍としては、女性が兵士になることに垣根を設けていないってのが現実なんだそうだ。

白兵戦をする兵士に女性がいるリスク

実際に白兵戦を行う陸軍に女性がいるってのはどんな課題があるのか?

シンプルに考えて、相手の兵士の性的暴力の対象になっちまわないか?とか自軍の兵士の性的暴力の対象になっちまわないか?とか考えるじゃんか。

戦闘ってのは命を失うギリギリの状況で行われる。
その状況において、種の存続という本能が発揮されるのはもはや生き物としての仕組みに近いと思う。

その状況で「自分が殺すべき対象」としての女性がいるって状態。
それだけで、どんな悲劇が起きてしまうのかってのは想像するだけで戦慄を覚えざるを得ない。

これが海軍や空軍のような設備を経由しての戦いならまだ自軍の規律ってのをどうコントロールしていくかってことで対応出来る要素があるとは思う。

ただ、白兵戦はだめだ。
そう思っちまうんだよね。

ウクライナで戦っている女性

ところが、現実的にウクライナでは白兵戦になる可能性のある場所で兵士として活動している女性たちがいる。

現実に起きていることのすべてが情報として伝えられているわけじゃないからなんとも言えないけれど、実にきな臭いと思うじゃんか。

しかも伝わってくる情報は「女性も男性もない。私達は祖国を守る」的な実にプロパガンダっぽい情報ばっかりだ。

不利な条件でも戦うことを選択することはいいことだみたいなのって、「そら違うだろ」って反射的に思っちまう。

近代兵器での戦いなんだから、そんな余裕は全く無いだろって意見もあるとは思う。
でも、戦闘の現場では何が起きても不思議じゃない。
そのことをきちんと理解した上で戦闘に臨んでいるんだろうか?

そりゃ、自分たちの国土に攻め入れられている状況。いわゆる本土決戦だ。
そんなこと言ってる場合じゃないって意見もわかる。

でもさ。
そんな極限状況だからこそさ。
女性は守りたい。
そう思っちまうんだよ。

このフェミニストが!とか、女性蔑視だとか、言われちまう意見だとも思う。
実際に俺のようなポンコツオッサンより体力的にも戦闘能力的にも優れている女性は星の数ほどいるとは思う。
多分、まちなかにいる女性と1対1で戦えって言われたら、勝率は5割切るんじゃないか?俺。

そんなポンコツでも女性は守るものって考えが完全に刷り込まれているんだよな。
これは教育の結果ってよりもヒトという生き物が刷り込まれている感覚なんじゃないかって思ったりもする。

生き物の本能に逆らってでも戦わざるを得ない女性兵士。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは女性兵士という存在をどう捉えて、どうあるべきだと言葉を発していけばいいんだろうか?


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