バラバラな「愛」。俺たちの「愛」
あんたはもう、宇宙戦艦ヤマト2202の第7章「新星編」を見たかい?
俺はついさっき見終わった。今回は例によってあらすじに触れずに俺の中に残った何かを拾い集めてみる回だ。
まだ見てないあんたも、これから見るあんたも安心して読んでみてくれよな。
宇宙戦艦ヤマト2202のテーマ
宇宙戦艦ヤマト2202のテーマは「愛」だ。
これはもう、動かしようがない。
問題はその「愛」ってのがなにかってのが、見る人それぞれで異なるってことだ。
あんたが独身で、彼女がいるのであれば彼女への愛ってのがわかりやすい「愛」だろうし、あんたに家族がいて、その家族を守りたいという思いがあるのであれば、それがあんたにとっての「愛」だろう。
宇宙戦艦ヤマト2202の「愛」ってのは何だったのか?
恋人を守りたいという感情?それは「是」であり「否」。
家族を守りたいという感情?それは「是」であり「否」。
仲間を守りたいという感情?それは「是」であり「否」。
国を守りたいという感情?それは「是」であり「否」。
人間を存続させたいという本能?それは「是」であり「否」。
つまりすべての「愛」は「愛」でありえる。そして同時にすべての「愛」を体現する存在ってのは無い。
俺たちが日々感じている「愛」ってのは、そういう多元的な存在である「愛」のたった一面を俺たちの感覚で切り取っているだけに過ぎない。
そして俺たちが人間である以上は、すべての「愛」を包含する「なにか」を完全に理解することは出来ない。
絶望の中にある希望
「愛」のすべてを俺たちが理解できない。それは絶望に違いない。
いつまでたっても俺たちは俺たち一人一人の感性で「愛」の一面を切り取ることしか出来ないのなら、俺たちはどうやったって本当の意味で理解し合えるわけじゃないってことだからな。
その先にある世界は「引き金を引き続ける」ことで未来を切り開くしかない世界なのかもしれない。
恋人を守るために仕方がない。
家族を守るために仕方がない。
仲間を守るために仕方がない。
国を守るために仕方がない。
人間を守るために仕方がない。
すべての仕方がないが「愛」の名の下、俺たちの中で正当化されていく。
そんな絶望しか見えない世界。そこに希望はあるんだろうか?
ある。
それもまた「愛」なんだろう。
すべての仕方がないが「愛」の解釈の違いによるものであるならば、解釈をすり合わせることもまた可能だからだ。
俺たちは俺たちを「愛」を語り続けることが出来る。
それが「愛」によって与えられた絶望に抗う唯一の「愛」だ。
宇宙戦艦ヤマト2202に散りばめられた愛
そんな「愛」について、2202なりの解釈が散りばめられている。
2202ではより超越者としての側面がクローズアップされたテレサ。
テレサは未来と過去を見通す存在だ。それによってすべての希望とすべての絶望がテレサの中にある。
そのテレサが大いなる和の「縁」に取り込まれていく様は、多くのなぜ?を生んでいる。
なぜ、テレサはヤマトに呼びかけたのか?
なぜ、テレサはガトランティスにあらがったのか?
その答えもまた、「愛」なんだと俺は思った。
超越者のテレサが「愛」を持つのはおかしいだろうって?
違う違う。そこにあるのは人間の「愛」であってテレサのじゃない。
ここで言う「愛」は「あがき続けること」と言い換えてもいいだろう。
宇宙戦艦ヤマト2202では多くの人のあがきが描かれている。そのすべてのあがきこそがテレサという超越者に集結していく。
この場合、テレサはそれらのあがきの依代ってことなんだろう。
宇宙戦艦ヤマト2202という作品
散りばめられた「愛」を俺たちは作品を通じて感じる。そして感じた「愛」はテレサへと結束していく。
あんたが宇宙戦艦ヤマト2202を見たなら、一見して様々なドラマがとっちらかっている印象を持つかもしれない。それほどに、人の思いってやつが一人一人で異なって感じられる。
そんなバラバラな「愛」も、結局は「愛」という高次の観念をヒトという限界を持つものが自分の中に落とし込んだ結果だという軸を持ってみると、この作品はより味わい深く堪能できるものになると俺は思った。
旧作のヤマトを愛してやまない俺としては、この新しい「愛」を好ましいものとして受け止めることが出来た。
ぜひ、あんたにも見極めてみてもらいたい。
俺たちの「愛」はそこにあるかを。
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