変化と技術と俺たちの意思と
あんたは日々進化し続けている世界について肌で感じることってあるかい?
実際問題、この10年の変化っぷりはその前の10年とは比較にならないって感覚がある。
例えば、2010年より前までは日本のGDPは中国に抜かれていなかったが2010年に抜かれていて、そこから中国は経済的にも軍事的にも存在感を増してきていたりする。
尖閣諸島近海に我が物顔で中国船が入ってくるようになったのも2010年あたりからって話らしい。
経済の力ってのはホントに物理的な行動と紐づくもんなんだな。
そんな感じの変化なら、まだ今の延長線上で考えられるとは思うんだけれども、こと「技術」ってなると、とたんにカオス度が増してくる。
今回は技術って側面で未来を妄想してみる回だ。
ちっとオッサンの思考遊びに付き合ってくれよな。
2010年の携帯電話
とりあえず身近な技術ってことで、まずは携帯電話について振り返ってみよう。
調べてみたら2010年に買われた携帯電話は5台に1台がスマートフォンってことなんだそうだ。
ちょっと今じゃ想像できない世界だよな。
スマートフォンもなしに、どうやって出張先の美味いランチ屋を探すってんだって思っちまうけれども、通信規格として4Gが具体的なサービスとしてはこれが該当するって正式に決まったのが2010年10月ってわけだから、そもそもスマートフォンを前提とした通信環境がほぼ揃ってない時代だったわけだ。
3Gを前提とした携帯画面で、iモードとかでちびちびやっているのが普通の世界から、今や携帯電話を触らない生活なんてホントに想像ができない世界へと変貌を遂げたわけだ。
次の技術を眺める
そして次の5Gになれば通信容量は比較にならないほど飛躍し、それに伴ってネットにつなげられる機器も指数関数的に増えるって言われている。
冷蔵庫や自動車は言うに及ばず、空調、スマートスピーカー、靴にメガネ。
ありとあらゆるものがネットにつながって、ヒトが把握するようなこともない情報を蓄積、流用、解析し続ける世界だ。
今ですら自分の家族よりもfacebookの方があんたのことを知っているなんて言われる時代だ。
すでに俺たちの意思とは別の所で俺たちの意思そのものが制御されている世界に俺たちは片足を突っ込んでいる。
今よりも遥かに強大な情報量によって、俺たちはより正確に俺たちをシステムに理解させることになるってわけだ。
次の次の技術を妄想する
更に次の6Gなんてなったらどうなっちまうのか?
とあるサイトで6Gになったら出来ることなんてんで、こんな風に書いてあった。
どうやら、6Gになると海上とか山頂とかヒトがなかなか踏み込めないような場所も通信範囲になって、5Gよりも遅延がなく、高速で圧倒的多数の接続を維持できるってことなんだそうだ。
それによって、ヒトが感知出来る五感を可能な限り表現するための情報が通信可能になり、もはやヒトが何処にどうやって居るのかの意味が極限まで薄れるってことみたいだ。
何?そんなこと言ったって味覚やら触覚ディスプレイなんて限界があるだろって?
そう思ってたんだけれどもさ。
あんたは「スマートダスト」って技術概念を聞いたことがあるかい?
ざっくり言えば通信機能をもったナノマシンなんだけれども、これがちょっと想像するとエグい。
6Gによって低遅延の大容量通信が無数のデバイスとネットワークを構築し、そのデバイスの一つのスマートダストがナノマシンとして人体に対して必要な刺激を選択的に与えることが出来るようになったとしたら……。
な?何そのサイコフレームって感じじゃん?
ヒトは意識することすら無くありとあらゆる感覚を刺激するディスプレイを手に入れることになる。
そして、その与えられる刺激はAIが膨大な情報量を解析した結果、俺たちヒトが「幸せ」になる感覚が選択される。
もはやここまで行くと麻薬だな。
で、そのための通信環境技術は2030年には出来ちまうんだと。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちの目の前に広がっている無限の世界は俺たちが望んだ世界なのか?
それとも俺たちが望んでいると解析された結果の世界なのか?