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AIという道具がもたらし奪うもの

あんたもAIによる画像作成が結構な精度をもって作られる仕組みが増えてきているのを眺めているかい?

俺もちょっとだけいじってみたんだけれども、なかなかズバリって感じのものは出来なかった。
それゆえに多くのヒトが「呪文」の開発に勤しんでいるみたいだ。

それの研究成果もあって、結構な作品が紡ぎ出され続けている。

今回はAIという道具を手にいれたヒトはどんな道を歩いていくのかってことを想像してみる回だ。

ちっと、この仕組みを使ってヒトは何を始めるのかってのを想像してみようぜ。

過去にヒトが手にいれてきた革新

まず、今までヒトはどんな革新を手にいれてきたかってことからだよな。

いつものようにサピエンス全史によればこうだよな。

  1. 認知革命

  2. 農業革命

  3. 産業革命

そこに加えて、ネットの出現による情報革命ってところか。

認知革命によって、ヒトは「仲間」という手段を手にいれた。
この力は絶大な威力を発揮して、その力をもって他の生物を食料として、もしくは敵としてほふってきた。

その代わり、ヒトは他のヒトの集団と敵対することが起きた。
ヒトがヒトを倒すなんてことが生まれた。

農業革命によって、ヒトは「定住」という子孫を残しやすい環境を手にいれた。
移動という危険性を伴わない出産環境は出生率を劇的に向上させた。

その代わりヒトは農業という作業に命の大半をつぎ込むことになった。
労働時間は農業を手にする前の3割増しになった。

産業革命によって、ヒトは劇的と言える生産性の向上を手にいれた。
リソースさえ突っ込めば無限に富を得られるということを経験した。

その代わりヒトは貧富の差に悩まされることになった。
資本家と労働者という新たな階級が発生して、その階級は一人の努力ではどうしても解消できないほどのものになった。

情報革命によって、ヒトは圧倒的な情報を手にいれた。
圧倒的な情報は様々な事柄を改編して、世の中の変化のスピードを文字通りけた違いにあげた。

その代わりヒトは身近な仲間を失った。
大量の情報は多くの事柄に対する否定の理屈を提供する。
そして、その理屈はあんたの愛する友人や隣人の行動すら否定する。

こんな風に、過去の革新は俺たちに益を与えるのと同時に苦難も与えてきたってわけだ。

AIの革新がもたらすもの

ぶっちゃけ、AIについての研究ってめちゃくちゃ昔からやられていて、盛り上がっちゃ~しぼんでを繰り返してきた。

ただ、今起きているAIの盛り上がりについて、今までの違いってのがあるとすると、一般のヒトがAIという存在に手を触れる機会がめちゃくちゃ増えているってことなんだと思う。

冒頭に触れたお絵描きAIもそうだし、スマートスピーカーとかでもヒトの言葉を理解して情報を流通するような仕組みとしてAIは俺たちの生活圏に普通に入り込んできている。

それこそ、検索エンジンなんてAIの塊だ。
俺たちがネットをさ迷っている時ですら、俺たちは無意識のうちにAIの仕組みを利用し、恩恵にあやかっているってわけだ。

きっとあと数年もすれば、俺たちは検索をするという行為すらあまりしなくなるようになるんじゃないかとすら思うんだ。

なぜって?
検索する前にAIが俺たちに必要な情報を俺たちの端末に自動的に届けてくれるようになる。
そんな気がしないか?

AIの革新が奪うもの

でも、過去の革新では与えられるものもあれば奪われてきたものもあったってのはさっきも書いた通りだと思うわけだ。

じゃあ、AIは俺たちから何を奪っていくんだろうか?

シンプルに仕事を奪われるって意見はよく聞くんだけれど、ちょっとその意見には懐疑的なんだよ。

今までもいろんな改革が行われて、その都度産業構造は確かに激変してきた。

例えばシステムエンジニアなんて言葉はほんの半世紀前にはほとんど認知さえされていなかった仕事だと思う。
それでも今は信じられないほどの人数がこのシステムエンジニアという仕事に携わっている。

YouTuberなんて存在が成立するなんてことは四半世紀前には想像もしてなかった。

同様にAIが生活の一部になるという変革によって、俺たちの仕事ってのも変化する。産業構造は変わるけれど、それによって失業率が上がる訳じゃない。

もちろん、非正規雇用と正規雇用の賃金格差とかの歪みも出てくるけれど、「AIに仕事を奪われる」ってのとはちっと違う話だと思うんだよね。

じゃあ、AIが俺たちから何を奪うのか?

多分だけれども、「変化しないで過ごすこと」じゃないか?

おそらく、大量のビッグデータをAIによってさばかれていった先には、めちゃくちゃ多くの課題が顕在化するはずだ。

そして、その無限に健在かし続ける課題について俺たちは日々汗をかくことになると思うんだ。
課題という言い方とは別の言い方をするならば「ニーズ」か。

俺たちは今まで想像もしてこなかったような「ニーズ」に取り組み始めているってことだと思うんだ。

AI描画に対してどんな「呪文」を唱えれば素晴らしい絵を手に入れることが出来るのかなんて、まさに「ニーズ」に対する取り組みだろ?

なあ、あんたはどう思う?

そんなAIに生き甲斐を与えられ続ける世界で俺たちはどう生きていくことが幸せなんだろう?

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