AIに奪われない仕事を考える
あんたは最近のAIの発達が生活圏に実態として入り込んできている状況を眺めているかい?
写真やイラストを描画するAIについては、なんかすごい勢いで数を増やしているよな。
まだまだ、映像としての不安定さがあるってのが現実だとは思うけれど、そのあたりもフィックスされていくのは想像に難くない。
そのうち、AIがマンガやアニメを作る世界なんてのも普通にあることになると思うんだよな。
物語を作り上げることまで含めてね。
今まではそう言う創作的な活動はAIには奪われないって認識があったと思う。
でも現実としては写真やイラストと言う分野ですらAIが進出してきている。
今回はAIに奪われない仕事ってやつがありうるのかってのを考えてみる回だ。
ちっと仕事ってやつがなんなんだってことを考えてみようぜ。
第一次産業を考える
いわゆる農業や漁業などの第一次産業ってのがAIに置き換わることがありうるのかってことから考えてみる。
結構な事例としてAIを導入した農業ってのはあるらしい。
そういえば下町ロケットでも農業の自動化ってテーマが扱われていたよな。
漁業でもAIを導入する事例ってのは出てきているらしい。
畜産もAIが検討されているらしいね。
おおう、林業ですらAIが検討されてんのか。
物理的な行動をするロボット技術が最適化されていけば、一次産業をAIを制御構造に組み込まれた自動化ってのはワリカシ現実的ってことなのかもしれない。
第二次産業を考える
じゃあ、第二次産業はどうなんだ?
第一次産業で得られた資源をもとに加工することってのが第二次産業ってことなんだそうだ。
製造業、建設業、鉱業とかがその対象らしい。
このあたりになると設計の最適化だとか、デザインの最適化とかって要素が入ってくる。
ただ、ここ最近の描画AIを見ていると、そのあたりもどんどん進化していくことは自明の理ってやつだとも思える。
多分ポイントは機械学習をするに当たっての「教師データ」をどうやって入手するかなんだよな。
で、今はネット上に巨大な評判データが転がっている状態だ。
こいつを教師データにすることで、デザイン的な要素はクリアできるかもしれない。
設計の最適化についてもみずからシミュレートしつつ進めていくってことではヒトの速度を凌駕するってのは普通に起きてくるだろう。
そうなってくると第二次産業もAIがすべてをさばいていくって世界観も夢物語ってわけじゃないかもしれない。
第三次産業を考える
で、第三次産業までくると、仕事の内容が細分化しすぎていて、AI化出来るかどうかってことを考えるには主語がデカすぎるんだよな。
例えば、電力会社なんてのは日本では第三次産業という位置づけになるってことらしいけれど、シンプルに発電をするってことだけ考えればAIでのコントロールをするってのは出来る気もする。
おそらく電力の需給バランスの予測もAIの得意分野だろう。
でも、シンプルに原子力と火力、水力、風力、太陽光、地熱などの電力源のバランスをどうするべきなのか?ってことはそれこそ教師データとして何をインプットにしたら良いかわからないやつだよな。
その結果として誰が利益を得るのが良いのかも絶妙に難しい。
AIの判断を受け入れられるのか
利益を得るヒトの数を最大化するために、一部のヒトを切り捨てるって選択をAIはしても不思議じゃない。
ってか、それがAIに与えられる目的になるだろう。
でもその最適化って理由をもとに切り捨てられるヒトは絶対納得しないよな。
これは第一次産業~第三次産業まで含めて全部同じだと思う。
全員が全員利益を取ることが出来るわけじゃないからこそ、そこには利益の調整って仕事が発生して、その利益の調整をした結果、利益を得たヒトはその調整の仕事をしたヒトに感謝を覚え、不利益を被ったヒトはその調整の仕事をしたヒトを恨むだろう。
そう考えるとさ。
AIが肩代わりできない仕事ってのは「恨みを買う仕事」ってことになるのか。
ヒトは仕組みに対して問題を感じたときに変化させることはあっても恨む事はできない。
でも気に食わない仕組みを導入したヒトには「恨み」の感情を抱く。
そう。恨まれるってのはヒトの特権ってことなのかもな。
なあ、あんたはどう思う?
究極にまでAIが進化した世界では、すべてのヒトが誰かしらに恨まれるってことを許容していかないとならないんだろうか?