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ブラックジャックのドラマ改変
あんたもブラックジャックの実写ドラマが放送されるって話を聞いているかい?
過去に結構実写化されているブラックジャックだけれども、今回の実写化にあたっては、ちょっと変わったところで注目を集めている気がする。
ドクター・キリコがなんと女性になっているってんだよね。
セクシー田中さんで、これだけ原作改変に対する逆風が吹き荒れている中で、これだけ派手な原作改変をするってのは、何かしらの意図があるってことなのかな。
このヒトがさ。
こうなるんだぜ?
こんだけ変えるんだから、意図が無いとドラマとして成立させる前に、原作ファンからの総攻撃が来ることは火を見るよりも明らかってやつだ。
今回はこのドクター・キリコの改変について考えてみる回だ。
ちっと、制作陣の意図ってのを想像してみようぜ。
ドクター・キリコとは
まあ、この記事を読んでくれているヒトはブラックジャック?なにそれ?ってヒトはレアだとは思うけれど、一応整理しておこう。
ドクター・キリコといえば安楽死。
かつての軍医としての経験から、死にたがっているヒトの尊厳を守りたいと言う境地に至って安楽死を請け負うようになったキャラクターだ。
安楽死ばかり請け負っているわけじゃなく、「治せる患者は治す」と言うセリフもあるので、医者として真っ当に活動もしているようだ。
しかも、安易な自殺願望には否定的で、軽々しく自殺を選ぼうとした少年を追い返すなんて話もある。
つまり、あくまで「医者」なんだよな。
本人に生きる気力がすでに無く、医学的にも救いようがない状態のヒトを「救済」するための安楽死ってわけだ。
なんつーのかな。
覚悟がガンギマリしてないと、こんな生き方を選択することなんてデキッコナイスってやつだ。
女性である必要性
で、そんなドクター・キリコがドラマで女性に変えられた。
制作陣にとってドクター・キリコが女性である必要性があったってことだよな。
いや、本来ね。
ドクター・キリコってのは、ブラックジャックと真逆の行為をしているのでお互いがお互いを否定し合う存在だ。
それ故にこの二人の黒い医者は対等な力関係じゃないと成立しない。
技術的にも精神的にもだ。
そこに男女と言う性差を設定するのは、普通に考えるとノイズでしかない。
でもドクター・キリコは女性にされた。
なぜだ?
建前から想像してみようか。
おそらく制作陣にとって安楽死ってのは優しい行為だって建付けになっていると思うんだ。
ドクター・キリコというキャラクターにとって、安楽死は逆説的に生の尊厳を守る行為だからね。
優しさを表現するためには女性の方が表現としてしっくり来るなんて発想があったのかな。
でもなぁ。
これは茨の道だと思うんだよな。
たぶんだけれど、マスメディアで安楽死を肯定する様な終わりかたは出来ないじゃん。
しかも今回は結構なメインキャストとして登場するっぽいから決着をつけないといけない。
ドクター・キリコは否定されて終わる運命を背負ったキャラクターってわけだ。
強い男性が強い女性を否定して終わる。
今の世の中でコレが許されるんだろうか?
ポリティカル・コレクトネス
あとは考えたくもないがポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)のことを考えたのかね?
原作のブラックジャックって主要キャラクターに女性が少ない。
ってか主要キャラクターがメチャクチャ少ない。
時代背景もあって、一緒に治療をする医者も男性がほとんどだ。
その作品を今、世に出すためにはなんとかして女性をねじ込まないといけない。
そんなことを考えてのキャストだったとしたら、悪手だと思うんだよな。
だって、作品を通じて何らかのテーマを描こうって話じゃないってことだもんよ。
目的のために手段を選ばないんじゃなくて、手段のためには目的を選ばないってやつだ。
いずれにせよ、ドクター・キリコが女性になったことによって、このドラマが受け入れられるのは蜘蛛の糸をたぐるが如くになる気がするんだよな。
なあ、あんたはどう思う?
このキャストが受け入れられるにはどんなテーマが必要だと思う?
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