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[ズレと共感]俺たちの絆の正体[誰かと違う意味]

あんたには誰かと「ズレ」ってのを感じることがあるかい?

前にも書いた通り、ヒトが言葉と言う非常に不完全な手段でしかやり取りできない以上は「ズレ」ってのは必然的に生じてくるもんだと思う。

言い換えれば「ズレ」ってのは「受け入れないといけない何か」なんだろうな。

実際にネットやらメディアから流れてくるものに「ズレ」を感じることって結構あるような気がする。

「なんで消費税を不景気だって時に上げるのよ」
とか
「なんで教育を子どもに施すヒトが社会経験を基本的に積んでいないのよ」
とか
挙げればきりがないほどの「ズレ」が身の回りにある。

そうかと思うと、俺ごときの考えを遥かに超えた何かを思いついて行動に移しているヒトもいる。

そのヒトから見れば俺は「ズレ」ているんだろう。

そう考えると、ヒトは自分の中にある「自己」というあるんだか無いんだかよくわからないものと何かを比べて「ズレ」と言う判断で誰かを評価しているってことなんだろうな。

たとえそれが真実だとしても、もう一つの見方も出来る気もする。

誰かの言葉が誰かを救うと言う見方だ。

今回は「ズレ」と「救い」について考えてみる回だ。

言ってみれば俺たちの「個性」ってやつについて考えてみようぜ。


俺たちの違い

まあ、当たり前っちゃー当たり前なんだけれども、俺たちって考えるやり方も行動も違うのが普通じゃん。

そりゃあ、育ってきた環境だったり触れてきた情報が違うんだから、その結果としての感情だとか行動が変わってくるのはあたり前田のクラッカーってやつだ。

何?あたり前田のクラッカーがわからないって?
うん、語り始めるとこの文章の意味がよく分かんなくなるから多くは語らんが、まあ、調べてミソ。
※死語攻撃の連続という特殊攻撃(メドローア的な)

で、完全に同じ考えを持つってのは生き物的に考えるとメチャクチャ危険なんだよな。
だって、その「考え」が世界に適応できなくなった瞬間にその生き物が絶滅しちゃうんだぜ?
そりゃあ、そんなからくりで種の存続なんてのはデキッコナイスなわけだ。

そうなってくるとだよ。
俺たちは「理解し合えない」ことで種を存続しているって話になってくる。
なんだその地獄絵図。

「個性」の延長線上にある「社会」

でだ。
俺たちは俺たちの個性を抱えながら社会をこさえている。

なんだか抽象的過ぎてあってるのか間違っているのか分からないんだけれどさ。
俺はそう感じたわけよ。

異なる意見。
異なる感想。
異なる見方。

この多くの「異質さ」を抱えながら俺たちヒトは協力って手段で世界を生き抜いている。

この歪ってのはどこから来るのか。
やっぱ「言葉」なんだよな。

民は一なり。言葉もまたかくの如し。かの人々は既に業を行えり。彼の人々の成すごと、何事も止めるに能わず。いざ、我ら下り、かしこにて彼らの言葉を乱し、互いに言語を通ずることを得ざらしめん。

聖書の中の一節だ。

要するに神様はヒトがひとかたまりになるとろくなことをしないと言っているわけだ。
しかもそのろくでもない事ってのがただのビル建設だってんだ。

これさ。
明らかに間違ってないか?

だって、ひとかたまりになれないヒトが何をしている?
戦争だ。
もっと言うなら殺し合いだ。

神は彼らを祝福して言われた。 「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」

言ってることが矛盾しすぎてないか?

言葉通りにとるならばだよ。
神様なる全能なる主は「増えろ、そして戦って死ね」と言っていることになるんだよな。

もっと言うなら「オマイらはわかりあっちゃならん」ってことだ。

この宗教を信じているヒトが世界で一番多いと言う事実。
さらに言うなら、この宗教に対して誓いを立てることで、その国の最高権力者になる国がアメリカだって事実。
※アメリカ大統領は就任時に聖書に手を当てて宣誓する決まりになってる。

なあ、あんたはどう思う?

「ズレ」を前提とした団結ってのが世界を作っているって事実をどう考える?

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