片山さつきさんの政府支出規模感覚
あんたも2021年6月の朝まで生テレビを見たかい?
俺はYouTubeで眺めてみたんだけれども、色々と感じることが多い回だったと思う。
テーマはコロナ渦における政治のあり方って感じだったんだけれども、片山さつきさんの意見を聞いていて思ったんだ。
これが現在の政府が掲げている「建前」なのか?ってさ。
なんでそんなこと思ったんだって?
だってさ、建前って言うにはあまりにも通じない理屈が横行しているように思えたからなんだ。
今回はこの番組での片山さつきさんの発言を振り返りつつ、自分の感じたことを記録しておこうって回だ。
ちっと、一緒に考えてみようぜ。
日本がアメリカのように休業補償を出来ない理由
俺が一番気になったのが、なんでアメリカでできている休業補償を日本でできないのか?という疑問に対して「憲法でロックダウンが出来ないから」という説明を片山さつきさんがしているところだった。
うん、普通に意味がわからない。
国からの「休業命令」は憲法の制約があるから日本では出来ない。
100歩譲ってそこまでは事実だとしよう。
個人的には「そうなんだっけ?」って疑問が残るんだけれどね。
問題は「命令」じゃないから「補償」出来ないってロジックだ。
いやいやいや、なんでよ?
たとえ「要請」であっても、政府からの「お願い」なんだから、その「お願い」を聞いてくれたヒトには何らかのメリットを返すってのは別に違和感のあることじゃないと思うんだけれども、そんなことないのか?
そう思って聞いていたら「いやいや、日本政府は80兆円も赤字国債出してますから」って片山さつきさんは言っていた。
アメリカは200兆円規模の財政出動を2回もやっているのにだ。しかもコロナ対策のためだけに。
しかもコロナ対策のためだけに。
日本はと言えば予算を70兆円規模で2020年に組んでいたのに30兆円も執行しないまま政府の財布に収めたままにしているって体たらくなのにだ。
予算規模ですら全然足りていないのに、それを執行することも出来ていない。
結果として失業者だけじゃなくて自殺者も増えているって統計があるそうだ。
片山さつきさんの発言をそのまま捉えると、「弱いヒトから死ぬのは仕方ない」って言っているようにしか聞こえなかった。
その発言の理由に憲法を持ち出してくるあたり、「あんたは本当に立法府に所属する人間なのか?」と疑問を呈したくなってしまった。
要請と保障がセットでなければならないなんて制約は法律でどうとでもなるもんじゃんか。
それを憲法を理由にして立法出来ないってのは言い訳以外の何物でもないと思わんかい?
生活保護の受給率
番組の中の発言でひとり親で3人の子どもの1月の食費が15000円という事例が紹介されていた。
ちょっと耳を疑ったんだけれども、その状況で役所に生活保護の相談に行ったら「もう少し削れませんか」と言われたって話があるらしい。
1日125円の食費を「さらに削れ」って役所は言うらしい。
1食じゃないぞ。1日だぞ。
なんだっけ健康で文化的な最低限度の生活って。
それこそ憲法違反な状況を政府が見過ごしているってことにならんか?
役所のヒトも鬼のような精神性でそんなことを実行しているわけじゃないと思う。
明らかに行政組織としてその方針で役所のヒトにそんなことを言わせているってことなんだと思うわけだ。
なんでそんな組織なのか?
役所には組織としての予算があり、基本的には役所の活動では利益は生じないので、コストを抑えるってのが基本の行動方針になるのはわかる。
つまり必要な予算を適切に執行するより、予算を絞っていくことが組織として求められているってことだ。
でもそれによって1日125円なんていう馬鹿げた数字に対する感覚が麻痺してしまうってことが起きているとしたら、そんなの悲劇以外の何物でもない。
こいつをなんとか出来るのが政治ってことなんだろうが、その政治家である片山さつきさんが「自分はコロナ対策としてやっている」という主張だけしている状態って薄ら寒いものを感じざるを得なかった。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは本気で政治家を選択する覚悟を持てるだろうか?
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