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北方文化とコモンズ

北海道8日間の旅

 2022年9月2日より8日間、北海道を旅してきました。今回はアイヌやオホーツクなどの北方文化に触れる旅です。自然との共生やコモンズ(公共財を含む社会的共有財産・システム)について考えさせられました。

自然は畏敬、尊重の対象

ウポポイに再現されたアイヌのコタン

 まず2020年にオープンした国立のアイヌ文化伝承・復興拠点「ウポポイ~民族共生象徴空間」(白老町)を訪ねました。「コタン」と呼ばれる集落に、自然環境と折り合いを付けながら暮らしたアイヌの人々の日常が紹介されています。人間の暮らしに影響する自然、生き物やそれらから作った道具などを含めて「カムイ」と呼び、大切に使い、使ったら感謝の「送り」をします。「送り」はカムイモシリ(カムイの世界)からアイヌモシリ(人間の世界)に来て人間に役立ったり、災厄となったりしたカムイをカムイモシリに送り返す儀式です。
 生け捕った子熊を育て、肉をいただくために行う「イヨマンテ(熊送り)」の名をご存じの方もいらっしゃるかと思います。「自然=カムイ」と「人間=アイヌ」が絶対的に二分されたものではなく、互いに行き来し相関する存在であり、自然は畏敬、尊重の対象であるという考えを基礎にしています。自然は「開拓」「改良」「支配」するものという人間中心の西洋近代的な考え方とは対極的な自然観です。

厳しい寒さを体感

まだ雪が残る大雪山系のカムイミンタラ(2022年9月)

 旭川市では市立博物館を見学。上川アイヌの社会と「屯田兵」にみられる明治政府の北海道開拓の歴史について知ることができました。この地のアイヌの人々が、内地人によって持ち込まれた疫病で激減し、開拓のための労働力を補うために屯田兵や後述する囚人たちが動員された経緯を初めて知りました。
 翌日は、層雲峡から黒岳を経て大雪山系第2の高峰・北鎮岳を目指します。9月の初めですから、快適な登山、北海道ならではの珍しい動植物との出会いも期待していました。実際、黒岳頂上を越えカムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)に至ると、高山植物がそこかしこに花を咲かせ、時折エゾナキウサギも声も聞かせてくれる別天地です。
 しかし、少し奥に入ると硫黄の臭いが漂い、植物が育たない盆地に雪が残っています。盆地から北鎮岳に向かう道は遮るものがほとんどなく強風が吹きつけ、体温がみるみる奪われてしまうことを体験しました。北海道の自然の厳しさがほんの少し顔を見せてくれたのだと思います。

極寒の地に生きるということ

モヨロ人は埋葬する人の頭にかめをかぶせた(モヨロ貝塚館の復元展示)

 オホーツク海に面した網走市では、北海道開拓の先兵として重罪人を集めた網走監獄、アイヌだけではなくイヌイットをはじめシベリアやカナダの北極圏などに住む民族をテーマにした北方民族資料館、アイヌ文化の源流の一つとなったオホーツク文化を担った人々の集落跡「モヨロ貝塚」に赴きました。
 網走監獄は小説や映画の舞台にたびたびなり、ご存じの方も多いでしょう。ただ、その始まりは旭川から網走まで、当時の名前で「中央道路」を建設するために送られた1100~1200人の囚人と看守200人であることを知る人は少ないのではないでしょうか。わたしも知りませんでした。もともと釧路にあった監獄から選抜された彼らは、人力のみで峠道を含む160㎞以上をわずか1年間で開通させました。過酷な労働環境下、看守を含め200人以上の犠牲者を出したと記録されています。ロシア帝国の脅威に怯え北海道の近代化を急ぐ中央政府の焦りと過酷な自然環境が生んだ悲劇と言えるでしょう。
 北方民族資料館では、極寒の地域を生きる人たちの社会の共通点や個性豊かな文化を知ることができました。極寒の環境では昔から、一つの家に数家族が住み、力を合わせて漁業を行い、海獣を狩り、子供たちを育てています。厳しい環境下では、集団で協力しないと生きていけないという現実があったのでしょう。家や狩りの道具、犬など日常にコモンズが根付いているようです。
 モヨロ貝塚は内地の平安期に当たるころの遺跡です。樺太や南千島、北海道東部に栄えたオホーツク文化を担った人たちが居住した集落跡で、漁業や海での狩りを行うとともに熊も狩っていたようです。住居跡には積まれた熊の骨が出土しており、アイヌ文化の源流の一つと言われています。どういった人たちかは謎で、土器の変遷などからその後にアイヌ社会に吸収同化されたとされています。変わっているのは、貝塚に埋葬された人たちの頭に土器であるかめがかぶされていること。他の北方地域でも時折見られる風習だそうですが、一説には、母親の胎内に戻って再生すると信じられていたということです。

人間に備わる「助け合い」本能

 今回の旅を通して、日本内地からの移住者を含め、極寒の環境になればなるほど人々が互いに助け合わないと生き延びられない自然の厳しさを感じました。このため自然への畏敬の念に加え、コモンズに対する意識が高くなる傾向があるのではないか、と考えています。
 欧州でもスウェーデンやフィンランドといった北欧諸国はコモンズの考え方が社会に根付いていると言います。税と社会保険料を含めた国民負担率が50%を超える水準ですが、経済成長は、日本はおろか英独仏など欧州主要国を超え、米国と拮抗しています(2016~2020年累計、国連調べ)。高負担、高福祉では経済成長が見込めないという論がありますが、事実ではないことを表しています。
 医療や教育、社会保障などコモンズが充実しており「老後のため」や「失業や疾病など『もしも』のため」と自身で資金を確保する必要がないことで、経済がうまく回っているということでしょう。
 生存ぎりぎりの環境に至ると、人間は本能的に「助け合い」をするのではないか、というのが筆者が感じたことです。日本も阪神や東日本の大震災で「絆」の精神を発揮し、古来「お互い様」や「世間」といった精神を大事にしてきた伝統もあります。個人の欲望を原動力とした市場原理主義的な経済観念が経済格差から分断・争いを生み、地球環境に過大な負荷をかけることで人間自身の生存をも危険にさらし始めています。コモンズを考えることが、社会のシステムを見直す出発点になるのではないでしょうか。

※本稿は1年前にフェースブックで発信した内容を加筆・修正しました。

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