記録をすることと歴史を積み重ねること
昨日の日曜日、早朝から目を覚ました息子と一緒にいつものようにテレビを見たり、機関車トーマスのパズルやレゴブロックで遊び、朝食を取って、玄関に置こうと思っている息子の帽子掛けを見学するために、近くの家具店に出かけた。
その後一旦帰宅して、昼食にトマトソースのスパゲッティを作り、それから寝室に飾る時計を購入するため家電量販店に行き、その帰りに近所の公園に立ち寄り、帰宅した。
日常を忘れて、家族との貴重な時間を満喫できた一日になったと感慨深い気持ちで帰宅して、テレビを点けるやいなや、異次元空間からどす黒い色をした恐ろしい手がのびてきて、ガシっと掴まれ、現実に引き戻された。
人間の力は、自然に到底及ばない。
西日本を中心とした今回の大雨による災害の影響が多方面に及び、先週から右往左往させられた。
その生々しい映像がテレビを通じて目に飛び込んできた。
人間が自然を管理しようとする考え自体、おこがましいと思わざるを得ない。
そんな考えが何度も頭をよぎる。
もしかしたら、今後テクノロジーがますます発展して、自然の力をテクノロジーで管理できる時代が到来するのかもしれないが、仮にそんな世界がくるとしても僕がこの世を去った後のことだろうから、関係ない。
大昔から、日本国内では人事では到底及ばない自然の強大な力の前に呆然と立ち尽くす経験を幾度となく繰り返して、西洋思想の対局として位置づけられる東洋思想、すなわち自然といかに共生するのかという考えが芽生えたことは、必然のことのように思う。
太古の人たちが、何世紀もかけて脈々と築いてきた、東洋思想に思いを馳せた。
過去に記録された多くの出来事を、次世代以降の人たちが教訓として活かすことを例えて、「僕たちは巨人の肩に乗って、遠くまで景色を見渡せる。」というニュアンスの言葉で表現される。
歴史を築いてきた、祖先たちの気が遠くなるような偉業に改めて気付かされた、そんな週末になった。