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見えるということ、見ている世界について

「"見える"って言っても、それぞれ見えてる世界は違うと思う」

今月のご近所さん、全盲のるりちゃ宅に遊びに行ってきました。

るりちゃんと出会ったのは半年前。
これまで全盲の方と関わる事はなかったし、正直最初は少し戸惑った。
どこまでサポートしていいのか、どこまで触れていいのか。

彼女はそんな私の懸念を吹き飛ばすくらいしなやかで、パワフルで「見えない」ことに関する概念を変えてくれた人。

オール音声入力でPCもスマホも使いこなし、仕事超はやい!
アメリカ留学やJICAで海外赴任の経験もあり、趣味でも世界中を飛び回ってる。
家にあるものでサッと作ってくれる料理も私よりうまい。。。

冒頭のセリフは、彼女に
「目が見えるようになりたいか?」
という質問をしたときに返ってきた言葉。

「今は特に見えるようになりたいとは思わない。目が見えるって言っても、それぞれ見えてる世界は違うと思う」

彼女に接する時、見えてる人=普通/見えてない人=不便、かわいそうの二元論でしか考えてなった。

目を使おうが、耳を使おうが、世界を捉える手法の違いでしかない。見えないからこそ見えてる世界もきっとあるんだろう。
同じように見てるつもりでも、見え方が違うこともある。そのせいでわかりあえないこともある。

同じ世界を違うように捉えながら、一緒に生きてる。その前提で生きるほうが、生きやすいし寛容になれるのかもしれない。

そもそも、見えてると思ってるものの実態なんてないのかもしれない。

下の添付はそんなるりちゃんが主催するキャンプのご案内!
もしも視覚障碍のお子さんを育てている方、知人がいらしたらぜひ参加してほしい。きっと世界が広がります!

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