2月の歌舞伎座、実は第1部の「泥棒と若殿」がすごく良かったことについて
今月の歌舞伎座は、注目の舞台がたくさん。毎年、年末に中村屋スペシャルを放送するフジテレビを中心に、テレビでもたくさん取り上げられているのが勘九郎と9歳の長男の勘太郎の連獅子。勘太郎は、父・勘九郎が持っていた連獅子の最年少記録を塗り替えたのだとか。また、同じ第3部には次男の長三郎が叔父の七之助と共演する袖萩祭文。やや難しいお話ではあるけれど、長三郎の成長ぶりに笑みを隠せない観客は、大満足だろう。第2部も、歌舞伎ファン待望の「にざたま」カップルのお六喜兵衛と神田祭という3年前の3月の再現。円熟の、それでいて若々しく晴れやかな舞台は必見であること間違いなし。
そうして、多くの観客のうち、第1部から第3部まで全部観るのは…と躊躇する方々が第2部又は第3部を選びがちであるなか、第1部に「泥棒と若殿」が久しぶりにかかっている。山本周五郎原作の新歌舞伎。もともと新歌舞伎が意外と好きだというのもあるが、すごく良かったので、是非まだ上演しているうちに感想をアップしておきたいと思い、興奮冷めやらぬうちに書いている。
「泥棒と若殿」、作品の魅力
脚本は、内臓に素手で触られるかのような、真正面からの表現にひやりとさせられる居心地の悪さというか、恥ずかしさのようなものを感じさせられる部分はあるのだけれど、それゆえに登場人物の誠実な想いがまっすぐ伝わってくるのが心地よい。こういう芝居、最近意外とないのではないかなぁ。蟄居同然にぼろぼろの別邸にいわば軟禁されている若殿ノブさんと、うっかりそんな屋敷に盗みに入った泥棒伝九郎の2人が主要な登場人物だが、その2人の美しく温かい関係と、それさえ社会の歯車の一つであるという現実の双方が巧みに光る構成になっている。独特の暗さのある雰囲気を含め、やはり新歌舞伎は好きだ。
松緑の当たり役になる
伝九郎は松緑。伝九郎は、軟禁状態で数日ろくに食べていないという若殿ノブさんを不憫に思い、食事や身の周りの世話してやることになるのだが、松緑は、本当に人柄の良い伝九郎を、完全なる良心からノブさんを助け始め、時間の経過とともにノブさんと馬が合うことやとにかく一緒に暮らすのが楽しいと強く感じるようになった様子をストレートに演じてくれ、全く違和感なく感情移入することができた。観客が実社会で担っている役割は、泥棒である伝九郎よりも、若殿やその家来たちのそれの方がずっと近いのに、伝九郎のピュアな思いに共感するというある種の錯覚を抱かせるのはすごい。良い人であること、ノブさんへの想いの双方が溢れる、おとぎ話的な魅力。名月八幡祭の新八を思わせるこういう役は、右に出る者がいないのではないか。
巳之助の芸の継承
若殿ノブさんは巳之助。亡父・三津五郎も演じた役を今回初めて受け継ぐ。若殿ゆえの清潔さと、世間知らずゆえの子どものように純粋な一面を軸に、武家社会で役割を担わなければならない現実とのギャップも見せる巧みな演技構成。冒頭、布団の中で疑心暗鬼になっている場面は、ナウシカ歌舞伎での皇兄ナムリスを思わせるところがあり(どちらも家庭環境に端を発するコンプレックスという共通点はあるのかもしれない。)、伝九郎との対話が続くうちに、いつのまにか明るく純粋な話し方になって心を開いていることを示すという流れは見事。最後に、背中を伝九郎に向けながら、武士として自分らしくなったと語るところは、台詞の内容自体はもっともだと思ったし感激もしたが、キャラクターは「急変」したなという印象がややあり。
脇役も充実、左近の成長と弘太郎の巧さ
そのほか、亀鶴は、重臣の役であるとはいえ、やはり役者ぶりが大きく、口跡も立派で、すごく見応えがあって好き。かっこよかった。弘太郎は、最初誰かと思ったが、台詞読みがとても上手で聞きほれた。主君のために心を砕く忠臣であること、能力も高い家来であることが短時間ですぐ分かる存在感。左近は、久しぶりの出演で楽しみにしていたが、声変わりがすっかり終わって声が落ち着き、いつのまにか大人になっていたので驚いた。父・松緑ともっと絡みのある役だったらより面白かったかもしれないが、俳優としてのひとり立ちの一歩という意味では、親ではない先輩たちに囲まれる役どころもきっと糧になるのだろう。坂東亀蔵は、いつもの安定感と美声で魅せてくれた。
再演希望!
現代でいうところのBL的な要素もあって、新たにスピンオフ作品を作っても成立するかも、と思わされるほど、伝九郎とノブさんの素敵な関係を羨ましく感じたし、結末を見るのがたまらなく切なく感じるというのが、何を差し置いても本作の第一の魅力だろうか。それを存分に見せてくれた松緑と巳之助に心から拍手を送りたい。そして、近いうちに是非再演してもらいたい。