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ヒップホップ生誕50周年の温故知新~MEGA-G × Genaktion『インディラップ・アーカイヴ』重版記念対談

『インディラップ・アーカイヴ もうひとつのヒップホップ史:1991-2020』の重版出来を記念した特別対談をお届けします。
 対談ゲストには、ラップの解読を日課とする著者Genaktionジェナクションさんをして「リリックに対して並外れたこだわりをもつ」と言わしめるラッパーのMEGA-Gさんをお招きしました。

MEGA-Gの最新作『Re:Boot』に収録された「Rap Is Outta Control」。
対談中ではGenaktionが本曲の驚異的なライム・テクニックを読み解く。

『Illumatic』でのデビューからもうすぐはや30年が経つも、衰えるどころかその存在感は増すばかりのNasのラップにかける想い、インディラップ・シーン随一のパンチライン・ラッパーが新作でみせる超絶技巧ライムの解説、そしてヒップホップ史の分水嶺ぶんすいれいとなった「1997年」の衝撃とは? 今年で生誕50周年をむかえたヒップホップのふるきをたずねて新しきを知る、1万3千字のラップ談議。ぜひご一読ください。

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Genaktion(以下Gen) このたびは、2020年に刊行した拙著『インディラップ・アーカイヴ』がおかげさまで重版出来となり、その記念としてDU BOOKSさんに対談の場を設定していただきました。せっかくの機会なので実制作されているアーティストのかたにお話を伺いたく、インディラップにも造詣 ぞうけいが深いMEGA-Gさんをお呼びしております。本日はお時間いただき、ありがとうございます。

MEGA-G こちらこそご指名くださり、ありがとうございます。とても光栄です。

Gen 実をいえば、これまでもラジオなどで何度かご一緒することがあったので、MEGA-Gさんの音楽のご趣味はなんとなく理解しているつもりなんですけど、いわゆるインディのラップとの出会いから伺ってもよろしいでしょうか?

MEGA-G 俺がいちばん最初に好きになったのはBoot Camp Clikです。そのBoot Campを率いるBuckshot(Black Moon)が立ち上げたヒップホップ・レーベル「Duck Down」周辺のアーティストに惹かれ、ハマっていきました。

Gen Wreck / Nervous / Duck Downの系譜はインディであるものの、他紙で頻出のため拙著では掲載を見送ったという背景がありましたが、当時のインディラップといえば本来、彼らが中心でしたよね。なかでも特に思い入れの深い作品はありますか?

MEGA-G たとえばBlack Moonなら、やっぱり93年のファーストアルバム『Enta Da Stage』ですかね。たしか96年ぐらいに初めて聴いたのだったと思います。

Gen まさにDuck Downが設立されたころに出逢ったのですね。

MEGA-G それから、Heltah Skeltahのデビュー作『Nocturnal』(1996年)も愛聴していました。

Gen あのアルバムがDuck Downの記念すべき1枚目の作品でしたね。

MEGA-G 不気味なフェイスペイントをほどこしたHeltah Skeltahのメンバーふたりが森のなかで焚火を囲って踊っている「Operation Lockdown」のビデオを見て、「なんだこの人たちは!」と衝撃を受けたのを覚えています(笑)。あの曲がインディラップへの入口となって掘り下げるようになり、Black MoonとかSmif-N-WessunとかO.G.C.といった仲間たちの作品にのめりこんでいきました。

Gen なるほど。Black Moonの『Enta Da Stage』は今年でリリース30周年ということで、時間の経過の早さにびっくりです。MEGA-Gさんのアルバム『RE:BOOT』(2019年)では、まさにそのBlack MoonのDJ Evil Deeにビートを提供してもらっていましたよね。

MEGA-G 彼が日本にやってきてワークショップを開いた際に会いに行って、自分の情熱を伝えるとともに直接交渉しました。

Gen その行動力に感嘆します。しかもウワモノのない、ドラムループだけのものすごく渋いビートを選んでらっしゃったので、さすがだなと思いながら聴いていました。

MEGA-G 実はキラキラした派手めのビートも提供してくれていたんですけど、それではEvil Deeっぽくないなと思って。

Gen そうでしたか。あれだけシンプル極まりないビートとなると、提供するビートメイカーのほうも勇気がいるんじゃないかと想像してしまいます。

MEGA-G でも、やはりああいったビートこそが“ドープ”ですよね。今後もしチャンスがあれば、彼らを日本に呼んで一緒にライブしたいです。

DJ Evil Deeの渋いビートが堪能できる「Lowend theory」

Gen いまはSWANKY SWIPEのBESさんとのデュオ「THE A.R.T.」で新作を準備されているとお聞きしました。

MEGA-G グループ名は“The Amazing Rap Team”の略です。自分のソロ作品の場合はとことんこだわって煮詰めたりしますが、今回のように誰かと一緒に作るときはその場かぎりの空気感を大事にして、それを曲のなかにも落とし込められたらいいなと思いながら制作しています。

Gen  MEGA-Gさんは日本の多くのラッパーとはまったく異なる作品を志向されていると僕は考えているので、とても楽しみにしています。特にリリックに対するこだわりというのは、並外れたものがありますよね。

MEGA-G ありがとうございます。現行のヒップホップに対するカウンターになるような作品にしたいと思っています。その意味では、まさにインディラップ感全開でいきたいです。

俺にはマイク一本あればいいオール・アイ・ニード・イズ・ワン・マイク”の心意気を貫く生涯現役ラッパー

Gen さきほど話題にのぼった『Enta Da Stage』は30周年ですが、今年はヒップホップの生誕50周年という大きな節目の年でもあり、記念日を迎えたこの夏からは大きな盛りあがりをみせています。DJ Kool Hercが妹のためにブロンクスでハウスパーティを開いた1973年8月11日がヒップホップのはじまりとされていて、そのちょうど50年後にあたる先月11日にはニューヨークのヤンキースタジアムで祝賀イベントが華々しく開催されました。アメリカのヒップホップは誕生から半世紀を経てすっかりメジャー化しましたが、現在のシーンをMEGA-Gさんはどのように見ていますか?

ヤンキースタジアムで開催されたヒップホップ50周年記念イベント

MEGA-G もちろん俺もアップルミュージックなどで最新のメジャー作品を聴くことはありますし、ヒップホップのページを開いたときに出てくる新譜にはひととおり目を通しますが、正直、聴きたいと思えるものがなかなか見当たらないのが本音です。名前をよく見聞きするアーティストはいちおう聴いてみたりもするんですけど、ハマるところまではいかないですね。そのうえで、精力的に作品を出しているGriselda Records勢や、The Alchemistのようにメインストリームの舞台で長年にわたって活躍しながらも、サウンドの質感がすごくアンダーグラウンドに近いアーティストを聴くことが多いです。

Gen  Griseldaはちょっとややこしくて、インディで自主リリースしている作品があるいっぽう、Eminemの主宰するShady RecordsにWestside GunnとConwayが配給してもらっていたり(註:すでに契約解消済み)、Jay-ZのRoc NationとGunn、Benny the Butcherがマネジメント契約を交わしているなど、一部メジャーに該当するアーティストも抱えていたりします。まあ細かい話はさておき、Griseldaの作品はひと昔まえのニューヨーク産メインストリーム・ヒップホップっぽさを感じさせますよね。サウンドこそ違えど、リリックの方向性はJay-ZらがおこしたRoc-A-Fella RecordsやハーレムのグループDipsetとほぼ変わっていない、いわゆる“ハスラー・ラップ”が作風の中心で。

MEGA-G 50 Centが率いたG-Unitにも近い印象を受けます。

Gen ビートがいま流行りのサウンドじゃないからインディの雰囲気が出てますけど、ラップじたいはどちらかというと当時のメインストリーム直系。現在のインディの代表的存在で、The Alchemistとの共作も多いRoc Marcianoなんかも、ピンプ/ハスラー的語彙の言葉を畳みかけていく往年のニューヨーク・スタイルのラップだったりして、実は時代を横断すると当時とやっていることはあまり変わっていない。

MEGA-G あと俺が最近よく聴いたメジャー作品でいうと、Nasの近作やDave Eastあたりですかね。

Gen Nasは年長者のなかで孤軍奮闘しているかんじがありますね。

MEGA-G ずっと第一線で活動していますよね。ここ数年は作品リリースのペースもぐんと上がって。

Gen 近年は人気プロデューサーのHit-Boyとタッグを組んで、作品を立て続けに発表していますね。僕の住んでいる米北東部の地域では、いわゆる“TOP40”系のラジオ番組でも唯一かかる古参ラッパーがNasかもしれません。

MEGA-G へえ~、そうですか。

Gen 彼の絶大な知名度も要因のひとつでしょうが、売れっ子のHit-Boyを起用して時代に取り残されていないかんじも、やはりメインストリームの舞台でやっていくための秘訣なんだと思います。MEGA-Gさん的には、一連のコラボ作品におけるHit-Boyのビートはどう思われますか?

MEGA-G めちゃくちゃかっこいいと思います。ミュージックビデオも撮られている、DJ Premierがスクラッチを披露する「Wave Gods」という曲がお気に入りです。これだけ豊作なところをみると、きっとふたりは相性も良好なのでしょう。なんたって、曲中で「俺(Nas)とHit-Boyを見て、みんなは“新時代のGang Starr”だとはやし立てる」と豪語しているぐらいです。「Wave Gods」のようなオーソドックスなビートの他方、最近の流行りのビートの上でもNasはラップしている。ある特定の型にはまることなく、ちゃんといまの時代に合わせてアップデートも行なっているNasのラップを聴いていると、自分の創作モチベーションも上がります。
 同じことを続ければ当然、安定感は出るでしょうけど、やっている本人はだんだん物足りなくなると思うんですよね。だからNasが新奇なビートに挑戦しているのを見ると、同じいちラッパーとしてすごく刺激を受けますし、なんというか、そうやって大先輩がいつまでも元気だと、後輩の自分たちも「先輩がやってるんだから、俺たちもまだまだいけるっしょ」と勇気をもらえます(笑)。

“新時代のGang Starr”ことNas & Hit-Boyの
「Wave Gods (feat. A$AP Rocky & DJ Premier)”」

Gen 先日、ビルボードの記事で読んだのですけど、Nas本人も、往年のラッパーたちに自分のようにもっと曲を出してほしい、もっと彼らのアートが聴きたい、というようなことを言っていました。もう生活のかてとしてラップする必要はまったくないにもかかわらず、こうやって旺盛に作品を作り続けているのも立派ですし、今回の50周年記念イベントのメインスポンサーもNasのレーベル、Mass Appealが担っているんですよね。

MEGA-G 間違いないですね。

Gen 現役のアーティストから、まだラップソングがレコード化されるまえの時代の立役者であるCoke La Rockといったあたりまでを呼ぶにとどまらず、自身の出番のときもかつてフィーチャリングで参加してくれたKool G. RapやLauryn Hill舞台に上げてマイクを譲ったりと、各方面の功労者をフックアップしようとしているのがひしひしと伝わってきて、僕はあの中継を見ているだけですごく幸せな気持ちになりました。

MEGA-G ヒップホップ・カルチャーに対するNasのリスペクトを感じさせますよね。

Gen あまり知られていない事実ですが、ほんとうはKool Herc以前にもヒップホップ黎明期のDJたち――Pete DJ Jones、Grandmaster Flowers、DJ Plummer、DJ Hollywood等々――はたくさんいるんですけど、Hercのパーティという象徴的な出来事をひとつの節目にして、こうやってヒップホップが大きく盛り上がっているのを目の当たりにできて嬉しいです。

MEGA-G あのイベントでは、ニューヨークをはじめとする東海岸のアーティストだけじゃなく、サウスなど別の地域からゲストを招いていたのも素敵でした。

Gen 最近そういう“ユニティ感”を感じたのは、J. Coleがフィーチャリングで参加しているLil Durkの「All My Life」(2023年)です。メインストリームの作品としては、ひさびさにとてもポジティヴなメッセージをもった楽曲だと思いました。前向きに生きようとしている自分とシステムに抑圧されている自分を行き来する内容の歌で、おそらく客演参加しているJ. Coleの作風に寄せられているのでしょうけど、こういうのをメインストリームど真ん中のLil Durkがシングル曲として出したところに僕は意義深さを感じます。この手の曲はめっきり少なくなってしまいましたから……。フックの子どもたちのコーラスも含め、それこそNasが夢や大志を抱くことの大切さを未来ある少年少女に説いた「I Can」(2002年)を彷彿しますね。

イリノイ州シカゴ出身のラッパー、Lil Durkの「All My Life (feat. J. Cole)」

ヒップホップを二分した「1997年」の衝撃

MEGA-G 逆に、いまGenさんが推しているインディのラッパーっていますか?

Gen 今年の作品でいうと、Lukahの『Beautifully Blackface』はひさしぶりに耳にしたコンセプチュアルな一枚で気に入りました。タイトルからもわかるように、黒人男性としてアメリカで生きるうえでの苦悩が濃縮されている作品です。ヴェテラン勢では、『インディラップ・アーカイヴ』でも取り上げているChino XLが、7月にプロデューサーのStu Bangasとの連名で『God's Carpenter』という新作アルバムを出したんですよ。

MEGA-G  Stu BangasはMPCを叩いてる人ですよね。

Stu BangasによるMPCの実演動画

Gen  Stu Bangasのハードコアなビートもかっこいいですし、やっぱり僕は昔からChino XLのラップがすごく好きで。余談ですが、彼がメインストリーム方面で最初に注目されたのは、2Pacの「Hit ‘Em Up」(1996年)でディスられたとき……といっても、ついでに「Chino XLもファックユー(Chino XL, fuck you too)」と申し訳程度にひとこと言われただけなんですけど(笑)。

MEGA-G (笑)。

Gen そもそもはChino XLが「Riiiot!」という曲のなかで「ムショの2Pacみたいにヤられないようにしている(I'm tryin’ not to get fucked like 2Pac in jail)」と2Pacを揶揄やゆしたパンチラインを入れたことに端を発した一件です。それでも、この曲を機に多くの人が「Chino XLって誰?」と彼に関心を寄せるようになりました。
 閑話休題、そんなわけでChino XLといえばパンチライン・ラッパーといえるほど、基本的にはとにかくテクニカルなライミングでまくし立てるのを得意としています。ただアルバムのなかには込み入った内容の曲もあって、自分の出自のこととか家族の問題とかを赤裸々に歌う、ちょっとエモい面を持ち合わせた人でもあります。僕はそちらのパーソナルな側面が出ているときの彼が好きだったりします。

MEGA-G Genさんの書いた作品レヴューを読むことで、Chino XLの生い立ちが結構ハードだったということを知り、俺も俄然興味をもって聴くようになりました。

『インディラップ・アーカイヴ』掲載のChino XL『RICANstruction』レヴュー(抜粋)。
「もうひとつの目玉は感傷的なエレピの“Mama Told Me”。9歳から受けた継父の凄惨な虐待に耐え切れず、ついに13歳の時に反撃したところ、誤って母親を刺してしまったという壮絶体験を物語る曲だ」

Gen そもそもアーティスト名の「チノ(Chino)」というのが、スペイン語における「中国人」を指します。どうしてそんな名前で活動しているのかというと、黒人とプエルトリカンとのミックスであるという彼の出自に関係がある。彼は黒人だけど「ライトスキン」なので、その明るい肌や顔貌を指して「アジア人」と揶揄された過去があるのですね。だからあえてその蔑称を名乗っている。Chino XLのような立場だと、黒人とプエルトリカンどちらの側にも受け入れてもらえず孤立することも少なくない。

MEGA-G そうかあ……。

Gen そういった葛藤を歌った作品も彼の持ち味ではありますが、きょう取り上げたいのは多少毛色の異なる「Remind You」という曲です。これは別れた元妻に対する愚痴をこぼしている曲で、最後にはその前妻が自分の実の兄弟と浮気していたというオチをもってくる。毎度ながらパンチラインだらけのこの曲で、特に面白いなと思ったラインがこれです。

A heroin(e) that'll let me die in vain (vein), mind games
My Salvador Dalí meltin’ clock stain, but I ain't got the time frame

 まず1行目では、薬物の「ヘロイン(heroin)」と女性主人公を表す「ヒロイン(heroine)」がかけられている。このふたつの単語は英語では発音が一緒なんですよ。さらに、「無駄に」という意味の熟語“in vain”と、「静脈(のなか)」の“(in) vein”もダブルミーニングになっている。それぞれは特筆することでもないですが、ちゃんと掛詞になっているんですね。

MEGA-G ああ、クスリだから「静脈」ということか。

Gen そうです。だからこのラインは、「このヒロインは俺を無駄に殺そうとする」という元妻への皮肉めいたセリフと、その恐怖心を薬物の脅威に重ねた「このヘロインは静脈のなかで俺を殺そうとする」という意味のダブルアンタンドレ(double entendre)になっている。
 続く2行目も巧みで、(元妻との)「心理ゲーム(mind games)」によって、自身の“サルバドール・ダリの溶ける時計”――ダリの代表作『記憶の固執』のことですね――が意識のなかでこびりついていると。これは要するに、ダリの描いた時計のように、クスリで“だらん”としちゃってる、あるいはストレスで頭のなかがぐちゃぐちゃになってるような状況を言わんとしているのだと思います。そして最後に、(「時計」のようであるにもかかわらず)彼には「時間(time frame)」がない、つまり元妻との時間はもう取り戻せないと後悔の念をにじませる。いわずもがな「時計」と「時間」でイメージにつながりをもたせているだけでなく、ライミングも1行目の「die in vain / mind games」を皮切りに、「die-in vain (ain, ein)」「mind games (ain(d), eim)」「stain (ein)」「time frame (aim, eim)」とちゃんと踏み倒している。

MEGA-G かっこいいですね!

Gen これを言ってしまうと本末転倒感があるかもしれないですが、“メジャーかインディかにこだわって聴くような時代ではもうなくなっている”のが現在のヒップホップだと僕は思っています。それでも、メインストリームを志向した作品でここまで技巧的なラップはまず存在しないんですよね。なぜってこの手のラップはわかりづらいですし、人を選びますから。これは住み分けの問題で、こういうひねったラップを聴きたい人はインディのアーティストから探したほうが遥かにはやいでしょう。最新のビートに乗せたスワッグなかんじのラップが聴きたいのであれば、メインストリームにいっぱいかっこいい曲がありますしね。
 その点、MEGA-Gさんのリリックは、まさに前者というか。なかでも「Rap Is Outta Control」(2019年)という曲の2ヴァースめ冒頭の「例え世界をロックしてる人気者の/ジーン・シモンズが不謹慎にも/ラップの死を願ってディスをしても/誰もお前のケツにはキスをしねえ」にはしびれましたね。いうまでもなくジーン・シモンズはロックバンド「Kiss」のメンバーで、その「キッス」と慣用句の「媚びへつらう(kiss one’s ass)」を用いたパンチラインです。ライムも、4小節内で5か所長めに踏んで意味もちゃんと揃えている。Chino XLに代表される米国アーティストのパンチラインを訳したらこうなるという、お手本のような歌詞だと思います。

MEGA-Gの「Rap Is Outta Control」2ndヴァース冒頭。
ジーン・シモンズは16年、ローリングストーン誌に「断言するよ、ラップは終わる」と語った

MEGA-G 俺のリリックに関しては、ストレートでわかりやすい表現も好きなんですけど、比喩を交えたような凝った表現こそが自分のなかではラップのだいであり、普通のポップミュージックでは味わえない魅力だと思っています。なので、自分でもその魅力をどうやったら人に伝えることができるか模索しながらいつもやっています。
 そもそも、どうしてインディラップの人たちはこういう凝ったラップソングを作るんですか?

Gen おそらく、良くも悪くも昔ながらの価値観が変わってないんだと思います。『インディラップ・アーカイヴ』にも書いたとおり、80年代はラップのレコードの8割がたがインディレーベルから出てるんですよね。だから当時は誰も“インディラップ”なんてわざわざ呼ぶこともなかった。だけど、その後いろいろな転換点が訪れます。特に97年前後を境にメインストリームとインディ/アンダーグラウンドが完全に分化されるようになりました。
 いわゆる“ジギー・ラップ”の波の到来です。「ジギー(jiggy)」というのは「楽しい」といった意味の俗語ですが、これらの曲はどちらかというとリリックの内容というよりも、プレイヤー性や成金趣味が強調されて、凝ったラップとは異なるアプローチになっていきました。全盛期のBad Boy Recordsが牽引したこの流行は、その象徴的な格好にちなんで、俗に「シャイニー・スーツ・エラ」なんて呼ばれてもいます。当時のMTVでは、光沢を放つ派手な衣装に身を包んだPuff Daddyらの出演するThe Notorious B.I.G.「Mo Money Mo Problems」やMase「Feel So Good」のミュージックビデオ(ともに1997年、Hype Williams監督)がヘビーローテーションされていた。豪奢な衣装に映像、ラップが名実ともにメインストリームとなった瞬間ですね。

MEGA-G そうでしたね。

シャイニー・スーツ・エラの代表曲「Mo Money Mo Problems」(上)と「Feel So Good」(下)

Gen また、本のなかでは触れませんでしたが、ヒップホップの歴史を語るうえで見過ごせないもうひとつの大きな転換点が「ビートの変遷」です。要は、TimbalandやThe Neptunes、Swizz Beatzといったプロデューサーの台頭ですね。それまでヒップホップの制作機材といえば、「E-Mu SP-1200」や「Akai MPC60」といったサンプラーが主流でしたが、彼らのビートはおもにKorg社の「01/W」や「Trinity」「Triton」といったシンセサイザーで作られている。それらのシンセに内蔵の音源でウワモノはおろかドラムまで組んでしまう――制作側のMEGA-Gさんを前にしてこんな話をするのは釈迦に説法で恐れ多いですけど。The Neptunesのこのころの作品としては、Noreagaの98年の大ヒットシングル「Superthug」が有名ですが、これがまた結構な衝撃だった。なにせNoreagaはその1年前にCapone-N-Noreaga名義で『The War Report』というサンプリング直系の作品でデビューしており、「Superthug」のプリセットのシンセのような音とはまったく違っていました。リリック面でもサウンド面でも、“それまでのヒップホップ”が好きだった人たちのなかには、この新たな潮流についていけなかった向きも多かったんです。いまはその流れが語られることも少なくなりましたが、その多くがインディ市場に新たな価値を見出した。たとえばフューチャーファンク的サンプリング・サウンドの上で難解な単語を畳みかけるCompany Flowの登場は、完全に当時のメインストリームへのアンチテーゼでした。

「もうひとつのヒップホップ史」でたどる先人たちの偉大な足跡

Gen あらためて紹介させてもらうと、いま言ったような転換点を経て、メインストリームとは別に独自の発展を遂げたラップ作品とその系譜について記録したのが拙著『インディラップ・アーカイヴ』です。MEGA-GさんはさきほどうかがったBoot Campのほかに、たとえば本書で取り上げている作品で思い入れのあるものはあったりしますか?

MEGA-G 俺がこの本を読んでグっときたのは、なんといってもMasta Aceのアルバム『Disposable Arts』(2001年)ですね。Masta Aceはレコード産業の体質に嫌気がさして、この作品を最後にリタイアを考えていたという制作の背景を知り、彼の境遇に自分を重ねてしまったというか、俺も同じような気持ちでやっていたなあ……とめちゃくちゃ共感しました。

「使い捨てのアート」と題された、Masta Aceの01年作『Disposable Arts』。
最終曲「No Regrets」では、「人生にやり残したことはないか?」との問いに「悔いなしNo regrets」と答える。

Gen 個々の楽曲やコンセプトが似ているわけではありませんが、最後にもう一度マイクを手にとって……というテーマはMEGA-Gさんの『RE:BOOT』に通じるところがあるかもしれないですね。

MEGA-G  Masta Aceのああいう心情は他人事じゃないと思っちゃいました。

Gen このアルバム、海外での評価はひじょうに高いけれど、日本だとほとんど話題にならなかったんですよねえ……。

MEGA-G 評判はともかく、『Disposable Arts』はアルバムとしての完成度がほんとうに高い。このアルバムのように、一枚を通してひとつの物語になっているストーリーテリング形式の作品はすごく好みです。こういうコンセプト・アルバムと呼ばれる作品って、日本だとなかなかお目にかかれないですよね。

Gen そのことは僕もずっと考えていて、なんで日本には頭からお尻まで筋の通ったコンセプト・アルバムが全然ないのかなと。MEGA-Gさんの『RE:BOOT』にも、“再起動リブート”というコンセプトがあると思いますが、ここでいうコンセプト・アルバムというのは、Masta Aceのアルバムみたいに物語仕立てになっていて、ときには虚実ないまぜのストーリーが展開される類いのものです。

MEGA-G ラッパー自身の実人生が中心になっているけど、架空の主人公を立てて、その人物の視点でストーリーが展開していく――。そんな映画監督みたいなこと、クリエイティヴじゃないと真似できません。いまふと思い出しましたが、たしかGenさんが以前に作られたZINE『Hip Hop Anti-GAG Magazine』に載っていたSticky Fingazの作品もよく出来たコンセプト・アルバムでしたよね?

Gen 2001年作『Black Trash: The Autobiography of Kirk Jones』ですね。Onyxのメンバーとしても知られるSticky Fingazが、本名のKirk Jones名義で役になりきって、逮捕・投獄を経て人生を見つめなおし、ゲットーの生活や人種問題、女性へのリスペクトなどをテーマにしてゆく、アルバム一枚を通してひとりの人物の物語になっている作品です。収録曲のひとつ「Money Talks」は、自身がお金になってボーストするという一風変わった内容でした。

MEGA-G お金の視点からラップするといえば、OZROSAURUSのMACCHO君は「いちまんえん」(2003年)で、自分が1万円札になったという設定のもと、お札が人から人へと渡っていくあいだに経験する悲喜こもごもの人生模様をラップしています。また似たところでは、雑踏に設置された防犯カメラの視点から街を眺める般若君の「カメラ」(2004年)も愉快な一曲です。

Gen コンセプチュアルな作品を作るラッパーというと、近年ではKendrick Lamarによくスポットライトが当たっている印象です。でも、Sticky FingazやMasta Aceがやっていたように、彼の登場以前から凝った作品づくりは実践されていました。たとえばKendrickが2015年の「How Much a Dollar Cost」で物語った「神との対話」というコンセプトひとつにしても、それこそ『Black Trash』収録の「Oh My God」はもちろん、Ras Kassの「Interview With a Vampire」(1998年)や、CunninLynguists「The Gates」(2006年)といった綿密な構成の過去作を当時は連想した向きも多いと思います。だから温故知新じゃないですけど、『インディラップ・アーカイヴ』はそうした「知名度はあまりなくとも趣向を凝らした作品」を少しでも記録しておくためにまとめた一冊ですので、参考にしてもらえたら嬉しいです。
 副題で「もうひとつのヒップホップ史」とうたった本書の執筆動機のひとつには、そのような先達の功績を後世の人たちに伝えたいという想いもありました。定期的に言っておかないと、特に言葉の壁がある日本では、彼らの足跡がなかったことにされてしまうきらいがあります。本書のコラムでリリックを取り上げるにあたっては、「Superrappin’」(1979年)のMelle Melのヴァースをまず最初に載せようと決めていました。79年の時点ですでにここまでやっていたということを示したかったんです。

MEGA-G ほんとうに偉大ですよね。

Gen それからRakimも同様で、本書では「I Know You Got Soul」(1987年)を取り上げています。彼もラップの評価軸を築いたアーティストなので絶対に載せなければということで、このふたりは真っ先に思い浮かびました。

MEGA-G よくいわれるように、Rakimの登場以後、ライミングは複雑になったのですか?

Gen 面白いことに彼の前後でかなり違いますね。たとえば、偶然ないし一部のラインが多音節になっているライムはRakim以前からもあったんですけど、「I Know You Got Soul」のようにおおよそヴァース全体を通して2語以上で脚韻を揃える――“left you”と“step to”など――というラップスタイルは、彼が最初に披露したと言っていいと思います。

「シンプルな単語韻から複数音節の韻へ」
『インディラップ・アーカイヴ』収録のコラム「リリックの読み解き方を考える」より

MEGA-G Rakimのラップは最初の4小節を聴いただけで、「ほかとは違う」と思わせますよね。

Gen ファクトチェックのために執筆段階でいろいろとさかのぼって聴いてみたんですけど、「I Know You Got Soul」以前にこんなことをやっている曲は見つからなかったです。

MEGA-G なんでRakimは急にこのスタイルを生みだせたんですかね?

Gen おそらく、ほかのラッパーとは違うフロウでラップするにはどうすればいいのかを考えた結果、あのスタイルに行き着いたんじゃないかと思います。ちなみに、Rakimは学生のころサクソフォンを吹いていて、コルトレーンのファンを自称しています。音楽的なアプローチからそこに行き着いたのかもしれません。

MEGA-G 親父さんもジャズミュージシャンでしたよね。

Gen Rakimは『Sweat the Technique』(2019年)などの自叙伝も書いていますが、あのスタイルの着想元については具体的に言及していません。ただ、時折マルチ(多音節)で踏んでいる人はオールドスクールのラッパーのなかにいないこともない。Melle Melもそのひとりですし、Kool Moe Deeや、あまり有名じゃないですけどSilver Foxなどもちょっとまえからこういうことを行なっていたので、彼らのやり方を噛み砕いて、ヴァース全体で試してみようという発想に至ったというのが自然な理解だと思われます。

MEGA-G あのRakimもまた、先人をお手本にしていたと。つまりは昔もいまも、過去の作品には最先端とされている技術の基礎が詰まっているということですよね。『インディラップ・アーカイヴ』は、50年の歳月のなかで埋もれてしまっているラッパーたちの功績を掘り起こして教えてくれる素晴らしい本だと思います。

Gen 恐れ多いことです。ありがとうございます。

MEGA-G この本は、俺ら世代の生粋きっすいのヒップホップ好きが読んでももちろん面白いんですけど、最近ラップを聴き始めた人とか、ラップをやっていてもっとうまくなりたいと思っている人にも読んでほしいです。特にGenさんが力を入れているリリック/ライム解説はほんとうに勉強になります。きょうも披露してくださいましたが、リリックの内容から韻の構造、作品の背景まで含め、こんなふうに詳しく解説している本はなかなかないですからね。インターネットで見聞きしたり、映像で確認するのもいいけれど、やっぱり本を手にとって活字で読むのってすごく頭に入ってくると思います。俺もこの本から得た知識を自分なりに消化して、作品やなんらかのかたちで発信していきたいです。


ヒップホップ生誕50周年の祝賀ムードが漂う2023年8月某日、東京のCHEFと北米のRAPTIVISTをつないで収録

構成◉DU BOOKS 小澤

*  *  *

MEGA-G(メガジー)
東京都大田区生まれ。
別名CHEF、またの名をTHE UNDER TAKER。
自身が主宰するBoot Bang Entertainmentより、待望の1stオリジナル・フルアルバム『Re:BOOT』が好評発売・配信中。

Genaktion(ジェナクション)
ゲン・ダニエル・ベル-オオタ。
ラプティヴィスト、ヒップホップリサーチャー。米国北東部在住。
企業でマーケティングを担当する傍ら、音楽雑誌やウェブ媒体、ラジオ、ソーシャルメディアなどでラップミュージックやヒップホップ文化に関する発信・執筆を手がける。日課はラップのリリックを解読すること。

*  *  *

《書誌情報》
『インディラップ・アーカイヴ
もうひとつのヒップホップ史:1991-2020』
Genaktion 著
A5・並製・オールカラー232頁
ISBN: 9784866471334 本体2,300円+税
https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK283

《内容紹介》
小説のような文学的表現、政府・メディアの欺瞞を突く痛烈なメッセージ、
困難に屈しない希望の詩。あなたの知らないラップがこの一冊に。

90年代にヒップホップがメインストリームとなりその姿を変える一方で、
もうひとつの市場で盛り上がりをみせた「インディ」のラップ。
これまで歴史的重要性は高かったものの体系的な資料のなかった「インディラップ」について、現代まで網羅した意欲作。

■インディレーベルからリリースされたヒップホップ作品=〈インディラップ〉のアルバム500枚をレビューしたディスクガイド
■アルバムレビューのほかにも充実の内容
・厳選シングル盤レビュー
・ラップのライミング構造を徹底解剖するコラム〈リリックの読み解き方を考える〉(全6回)
・荏開津広(DJ/ライター)による著者インタビュー〈Roots of Raptivist〜Genaktionに訊く、インディラップの趨勢と魅力〉(2万字)
■作品掲載アーティスト
Freestyle Fellowship / DJ Shadow / Company Flow / Kool G. Rap / Black Star (Mos Def, Talib Kweli) / MF Doom / D.I.T.C. / Immortal Technique / CunninLynguists / Open Mike Eagle / R.A. the Rugged Man ほか

本書に収録の著者Genaktionインタビューをためし読み公開中!


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