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何もないという贅沢

GWが終わって、すっかり落ち着いた感のあるNOMAyado。

それでも日替わりで、いろんな人が訪ねてきてくれる。地元情報紙の取材の方だったり、鳴門でシーカヤックやSUPなどの体験ツアーを開催されている方だったり、はたまた時々顔を出すスパイスカレー屋の店主だったり、私の知らないところで少しは噂になっているようで、嬉しい限りです。

なぜか今まで外見より大切なのは中身だなんて、天邪鬼な気持ちがあったけれど、
改めて外見がちゃんと整っていることで、人が興味を持ってくれるものなんだと今更ながら気づきました。そう言う意味では、設計事務所の方々には感謝だし、私自身も第一印象が悪くならないよう、服装や言葉遣いにも気を配らなくては・・・
などと柄にもなく考えるようになりました。
60オーバーの大人が今更何言ってるのと突っ込まれそうですが、もっと早くに身に染みていたら、違う人生になっていたかもとさえ、思います(笑)。

小鳴門海峡の遠景

街の中の便利な場所でもないし、コンビニはおろか、何の店さえも無い場所。
道は細く、この宿の先は行き止まり、住人以外は立入を拒むような場所。
海はあるけどリゾートではなく、それは漁師や造船所など生活と共にある海。
地元の方でも、こんな場所知らなかった、初めてきましたと感想を漏らすほど。

「ここにあるのは、老人と野良猫と空家。」
初めてここにきた時、隣に住むおじいさんが思わず呟くのを聞いた。

それを聞いた時、だからこそ、ここを選んだんだと強く思った。
何もないからこそ、余計なノイズが無く、身近な自然に目がいくことで、改めてその美しさや逞しさに気づく。
それこそが、癒しだし、旅を終えて帰った時、「ああ明日から仕事、現実に戻らなきゃ」ではなく、そうした視点や感覚を持ち帰ってもらうことで、日々の暮らしのクオリティが少し上がる、そういう旅を提供したいと思った。

夕暮れのNOMAyado

けれど、「何もない」という言葉をポジティブに受け取れない人がいるのも確か。
宿の準備を進めるうちに自分を疑い、心折れそうになることもあった。

実際、宿を始めてみて、お客様と接しているうちに、自分の考えは間違っていなかったと思う言葉をたくさんいただいた。私が思うよりずっと、都市で働いている人たちは心が疲れていることも知った。普段の生活の中にも、野良猫もいるだろうし、夕焼けもあるし、風を感じたり、地味だけど美しいものにはいっぱい出会っているはずだけど、見てはいるけど、気づいてはいない・・・。

宿から見える夕焼けに心奪われたり、渡船に乗って眺める海が特別に愛しく感じたり、高台の神社から眺める海峡に夢中でシャッターを押したり、ちょっとした散歩の中で、癒されているのが手に取るようにわかる。

造船所跡の建物に絡む蔦

GWで混み合う話題の飲食店に行かなくても、静かで穏やかな宿に居ながら、味の濃い地場野菜や新鮮な魚、スーパーで買ってきただけの食材がとびきりのご馳走になり、話が弾み、終始笑顔がこぼれる。

やっぱり、何も無い(暮らしの中にストレスになるノイズが無い)と言うのは、
最高の贅沢なんだな。
どうすれば、この感覚がもっと皆さんに伝わり興味を持ってもらえるのか、
SNSに魅力的な写真をアップするのもいいけど、コラムやラジオなど、地味だけど手触りが伝わる手段で、焦れることなく伝えていくのがいいと今は思っています。

先日、ビーチクリーンで連携させてもらったくるくるリユースの黒川さんに
海の環境を守ることについて、示唆に富んだお話を伺い、ラジオにアップしました。こちらもぜひ聞いて貰えれば嬉しいです。

私も少しづつですが、鳴門人になれている実感が出てきて、嬉しい限りです。
人間幾つにもなっても、学びがあるものなんですね。



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