人は、なぜ旅をするのか?
旅というのは本来、行く必要がない場所に、ふらりと気まぐれで行き、見る必要ないものを見、会う必要のない人に会う行為である・・・。
それなのになぜ、人は旅をするのか?
役に立つとか、立たないとか、そんなことは旅に出る理由にはならない。
人を旅に向かわせる最大の理由は、旅でしか身体に、記憶に、埋め込まれないものがあるから。この埋め込まれるという感覚、言わば精神とも言えるものにいかに遭遇できるか・・・、これこそが旅の最大の魅力と言えるのではないだろうか。
旅で身体に入ってくるものは、SNSやネットで知っていたものとはまるで違う。
旅をするというのは、目で見たもの、見えたもの、歩きながら身体に伝わってきたもの、酒でも食事でも口に流し込んだもの、耳から入ってきた音色、嗅いだ匂い、肌で感じたもの、そのすべてを自分の実感として捉えること。
日常の中では、見えていないもの、感じられていないものが次々と立ち上がってくる。旅とは「日常からの別離」だと言った人がいたが、非日常の時間の中で、日常を送る人々の暮らしを垣間見る、だからこそ感じるものもたくさんある。
どこに行って何を見たかが問題では無く、その旅において、何が身体や記憶に埋め込まれたか、いかなる精神と遭遇を得たか、そうした体験の積み重ねこそが、唯一無二の自分というものを形成する。
旅のない人生ほど、味気ない人生はない・・・。
何よりも旅を愛した伊集院静氏の本にこんな一節がある。
大人たちよ、さあ旅に出よう!
ワカメ漁師たちが暮らす、小鳴門海峡の端っこへと向かう細い道の先に隠れるように佇む2部屋だけの小さな宿。大人の一人旅を満たす、それがNOMAyadoです。
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