2拠点生活のススメ|第110回|大きな勇気をもらった
昨日、図書館で何気なく手に取った本の中に、ドキッとする文章を発見した。
「将来が目的で、現在が手段のようになっていて、将来よりも現在を一段低いと考えているのでは無いだろうか。」
還暦という年齢を間近にして、これからの人生どうあるべきか。最近、知らぬ間にそんな物差しを振り回していたような気がする。
将来を考えるあまり、日々の中にある、生きる喜びや悲しみを感じる力を失ってはいないか。そんな問いを突きつけられた気がした。
今をないがしろにしているつもりは無いけれど、強く否定できない自分もいる。
本を読み進めていくと、その言葉は作者自身に問いかけていることが分かった。上原さんは、「自分探しを人生のメインテーマにしてしまったような人間」と自分のことを語っている。表現者になりたいという思いで、ずっと現在を手段にしてきたというのだ。
「自分探し」には、良きものと悪しきものがある。
「良き自分探し」は、自分の内側に向けて自分を掘ること。自分の経験してきたことと向き合って、自己分析すること。
「悪しき自分探し」は、自分の外側に向けて、どこか別の場所に行けば素晴らしい自分を発見できるのではないかと彷徨うこと。
人は困難に直面したとき、自分探しをするものだ。
コロナの時代がやってきて、自分自身時間ができたこともあり、まさに今、自己の内側に向けて自分を掘っている最中。新しい暮らしの手応えを感じつつある中で、良き自分探しと言われたことは素直に嬉しい気がする。
ただ、自分を掘ることと、世の中とどうコミットしていくのかは別問題。そんな風に考えていたのだが、自分を掘って、掘って、掘り尽くして行き着く先に普遍的なものがあり、他人と繋がることができるというのだ。
今の時代「私」を何処か別の場所に置いておいて、テレビの解説者のように一般論を得々として話す人が多い。youtubeには、その手の動画が溢れているし、それが「いいね」となって、世の中にコミットしているようにも見える。
自分を掘って、他人と繋がるとはどういうことなんだろう?
上原さん自身が自分を掘ってでてきたのは、「表現者として生きたい」という思いだったという。さらに自分を掘り下げていくと、表現よりも生きるために働き、才能が無いにも関わらず、表現するということを諦められないという現実にたどり着いたという。
しかし、こうした「現実を自覚したとき、人はどう自分を支えるのか? 」という問題は、上原さん自身の問題でもありながら、多くの人に共通する普遍的な問題だと気づいたという。
上原さんは、この問いを手に、数多くの市井の人に話を聞き、「困難なときに自分をどう支えたか」という話を書くようになる。これらはやがて独自の「ノンフィクション・コラム」と呼ばれるようになり、幅広い人々の心を掴むようになった。
私もこうして偶然図書館で上原さんの文章に出会い、心を鷲掴みにされた一人だ。
自分を掘っていった先に、普遍性があり、他人と繋がる世界が拡がっている
上原さんの話を読んで、大きな勇気をもらった。
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