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わたしにとってのDTT②
もりしです。世界中が大変な状況ですが、どうか皆さんとその大切な人たちが健康に過ごしていることを願っています。
もりしの2回目の投稿は、DTTにおける「表現」についてです。
そもそもDTTとは、これまでに2回実施された展示会のようなものですが、単に作品を展示しているだけの場ではない、とわたしは思うのです。
(過去のDTTのようすはこちら→vol.1 ep.2)
↑ DTTのWebサイトのABOUT より
DTTのWebサイトのABOUTには、「表現せずにはいられない」ということばがあります。今回は、このDTTにおける「表現」についてわたしなりに思ったことを綴ります。
前回の記事で、DTTは「来た人をやさしく受け止めてくれるような空間」であると述べました。
その理由は、1回目のDTTにに参加したときにはよくわからなかったのですが、2回目のDTTに参加して、DTTにおける「表現」が意味するところに、その「やさしく受け止めてくれる」理由があったと気がつきました。
2回目のDTTは2019年、ep.2 Door To The 。
2回目のDTTはplayersとゆっくり話す時間がありました。そのときにあるplayerのひとことに、DTTにおける「表現」のヒントがありました。
「表現」というと、なんだか「何かをつくらなければいけない」特別なことと思ってしまうのですが、playerが言ったひとことに、そうではないということに気づかされました。
「呼吸をするように表現する」
このことばに、「表現する」ということは特別なことではないんだと気付かされました。
そしてこのことばに、「生きる」ということ自体が「表現」であると、気づかされました。
同時に、「表現せずにはいられない」ということばにも納得しました。
↑ わたしのDTTでの「表現」
「生きる」ことが「表現」であるというのは、考えてみれば当たり前のことです。わたしたちの日々の生活における、行動、しぐさ、ことば、表情、髪型、着る服、食べるもの…すべてその人を「表現」しています。
playerたちによってつくられるDTTの空間は、わたしたが日々の生活の中で「表現」しているように、『表現』されています。しかも気負いなく、ありのままを。
これが、DTTが「来た人をやさしく受け止めてくれるような空間」であると感じさせる理由であるとわたしは思うのです。
DTTは、「ありのままを表現したらいいよ」と語りかけてくれるような空間だと思うのです。
↑ DTT Webサイト READ MORE より
そして、DTTはだれもがplayerになれる空間だとわたしは思います。
作品を展示しても、しなくても。参加しても、しなくても。
ありのままを表現することが「player」になることだと思います。
わたしも含め、たくさんの人に「player」になってもらいたいと心から願っています。
このような状況の中なので、どのように第3回のDTTを開催するか話し合っているところではありますが、ぜひ!第3回のDTTにもご期待ください。
おしまい
書いた人:もりし