見出し画像

地球のしごと大學って何?②~スタートから助走期~

コンセプトはアースカラー

志が定まり、さあどんな名前で活動を始めるか。当時の仲間とアイデアを出し合い、思案の末、思いつきました。

ホワイトカラーやブルーカラーの類語として「アースカラー」。地球や大地と共生する職業人という意味。

カラーは色のcolorではなく、襟のカラーcollarのこと。地球色の襟を身に着け、地球環境と共生し、これから求められるローカルを舞台に台地に根差して活躍する、頭も体もフル活用して働く人のイメージです。語感も良いし、コンセプトが詰まった言葉だなと気に入りました。

 ※余計なお世話ですが、事業や活動を始めるときはコンセプトは大事です。どんなプロジェクトも途中で止めたくなるときが必ず来ますが、コンセプトに救われることがあります。コンセプトが別人格を持ち、使命感みたいなものを帯びてきます。共感する仲間も集めやすくなりますし、ブレる個人をコンセプトが鼓舞して引っ張ってくれるのです。

2010 年7月、株式会社アースカラーを設立。無事に会社として活動がスタートしました。

最も影響を受けたのは哲学者/内山節さん

画像1

(内山節さん講義風景)

軸となる考え方は、哲学者の内山節さんでした。柳田国男、宮本常一などかつての民俗学の権威がおられますが、現代の民俗哲学における第一人者と言える方です。主に、自然と人との関係性に対する考察や、武士や貴族など中央の立場ではない、農山漁村の民衆の暮らしや思想にスポットを当てたものを多く出版されています。ご自身の群馬県上野村での生活で日々思索されたものがベースで、体験から紡がれる文章はとても情緒的で美しいです。内山先生の書籍から日本の農山漁村について多くを学びました。

 ※とっつきやすい書籍はこのあたりでしょうか。ローカリズム原論 新しい共同体をデザインする お時間有る方はぜひ。

やはり本命の内山先生にアースカラーで講座をもっていただきたい、と知人の伝手をたどって初めて内山先生にお会いできたのは2011年だったと思います。感動でした。ファンがお気に入り芸能人に握手してもらって手を洗わない、みたいな高揚感がありました(笑)。以来、ずっと毎年一度は講義をお願いしています。

ギリギリの生活のなか、学びの旅を続けた

内山節さんの思想を軸に、地方分野で活躍されている方のお話を聞きに行ったり、書籍を読んだり、情報を集めまくりました。そしてこれはという方に突撃アポイントを取り、講師を依頼していきました。まずは自分が受けたい講座を自分で作り、草の根で開催し続けたのです。しかし講師の方のネームバリューでそれなりにお客さんが集まってくれることも有ればそうでないことも有り、泣く泣く中止の連絡をして関係者に迷惑をかけたりということもしばしばでした。今思えばコンセプトははっきりしていてもマネタイズの基盤ができていなかったので、勢いだけの不細工なスタートだったなと思います。創業時に集めたお金も、銀行から借り入れたお金もどんどん減っていきます。ホームぺージ作成のお仕事や、知り合いの尊敬する社長さんから業務委託をいただく等でしのいでいました。借金で首が回らなくなるのが先か、黒字になるのが先か、首の皮一枚でなんとかつながるチキンレースが続きました。。。どれくらいまででしょうか、2015年くらいまでは厳しい状況が続きました(そういえばお金が無い時は、居酒屋の店員や定食屋の調理場などの短期アルバイトもしたなあ)。一番辛いのは結婚式に呼ばれるときでした。本来呼んでいただくことはとても有難く、幸せなイベントなのですがお金のことは頭が痛くなります。貯蓄が無いのでご祝儀払うと生活できなくなりますからね。でももちろん大事なイベントなので借金してでも参加していました。この時期は両親や親戚の目、周囲のそれなりに稼いでいる友人などと比べて自分を卑下したりもありました。ビジョンばかり追って人や社会に貢献しておらず迷惑かけてばかり。まともな人間じゃないな自分、と。自尊心の維持が大変でした。

でも今思うと必要な助走期間でしたね。基盤作りのためには当然の苦労であり、大いなる投資の時間でありました。止めずに講座を開催し続けたことで一番学んだのは、一番成長させてもらえたのは、他ならぬ自分自身でした。

千葉での農業実践

コンバイン3

「成功していない青二才が学校をやりたいなんて100年早い」

創業して間もない頃でしょうか。ある経営者の方と夜通しお酒を飲んだ時、だいぶ意識が朦朧とされている中でその方が本音を漏らしました。「成功していない青二才が学校をやりたいなんて100年早いんだ」 ・・・仰る通りでした。そうです、気持ちは滅茶苦茶ある私でしたが、実績など何も無い若造だったのです。そんな若造に世界はこれからこうなるからこういう仕事に就こう、こういう生き方をしよう、と言われても説得力に欠けます。コンテンツには自信があるものの軌道に乗らない理由だったと思います。

そして、まず塊より始めよ、自らも実践、と 2010 年から千葉県の里山地域に居住(匝瑳市、佐倉市)し、最終的には約 1 ヘクタールの田畑にて無農薬・無化学肥料のお米作りや大豆作り、企業の農業体験などの教育農場を運営しながら、現場経験を一通り積みました。アルバイトと経験を兼ねて農業法人でも働かせてもらいました。トラクター、田植え機、コンバイン、ビニールハウス、籾摺り機などお米作りに必要な機械は少しづつ買い足して一式揃えました。できるだけ安く抑えるためにヤフオクなど使いましたね。資金を出してくれる方もいらっしゃいましたし、アースカラーのほうで少しお金が残ればすぐに農業機械などに投資していました。まさに自転車操業。常に懐は寒い状態でした(まあ今もそう変わらないですが^^)。続けられたのは、自分で食べるものを自分で作る喜びがあることと、千葉の佐倉まで毎年田植えや稲刈りなどmy田んぼユーザーの方や、遊びを兼ねて手伝いに来てくれる人達との楽しい時間があったからでした。・・・結果的に約8年間、千葉の里山にお世話になりました。

地球のしごと大學 my田んぼ

(しかし、この期間、たくさんの方にお世話になり、また迷惑もかけました。期待させて失望させたり、地域の方々には申し訳ない気持ちでいっぱいです。お詫びの行脚に参りたいといつも頭の片隅で考えています)

少しづつカリキュラムの型が見え出す・・・

画像3

(2016年 高知県四万十市フィールドワーク)

学びの場の名称は、2013 年から「地球のしごと大學」としました。そして2014年からコアであり基盤となる学部、教養学部をスタートさせました。農業、林業、漁業、エネルギー、福祉、教育・・・etcと、農山漁村での魅力ある仕事について幅広く学ぶ学部です。サステナブルな地域づくりを志向するためには、都会と異なり、自分の仕事だけでは良くないのです。全て繋がり合っているので全体を把握したほうが循環の輪の中での自身の役割がわかりやすくなります。また、どの分野の仕事に自分が一番惹かれるのか、向いているのかを知るためもあります。まずは質・量ともに農山漁村のしごとの教養を大量にインプットすることが目的です(インプットの量はアウトプットの質に比例します。間違いありません!)。

現場での体感が大事なことから、必然的にフィールドワークが多くなります。旅しながら学ぶ感じです。しかし、フィールドワークをたくさん提供することはとても大変。交通費もかかるし、運営も煩雑。効率性は一定のところから頭打ちです。

しかし地道に開催を続けることで赤字でも、実績が残ってきました。そして受講生の評価もとても高いものでした。おかげさまで講座(講師・内容)を作る選球眼!?は地方創生系の業界では誰にも負けない、と自負できるようになってきました。運営も少しづつカタチが見えてきました。2014年まではメンバーも出会い別れがあり、安定しませんでした。しかし2015年から少しづつメンバーが増え続けて安定し、今に至ります。

苦しい助走期間の末、ようやく光が見えてきました。(続く⇒地球のしごと大學って何?③

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?