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2024年、28年目の仕切り直し。

 今回は、募集コンテスト記事の話なので、いつもの前フリはナシにします。

 と、いうわけで、不二川です。

 note公式の方から、「今年学んだこと」で、一つ記事を書いてみなさい? というお題が出たので、これぁ書くしかねえな! と思った次第。しばらく、お付き合いください。


何を学んだか?

 最初に、結論を申し上げます。僕が、2024年に学んだこと。それは、「小説執筆の作法」です。それのどこが、「28年目の仕切り直し」なのか? を、これから、述べさせていただきます。

創作と僕

 さて。まあ、過去に散々触れたかと思うのですが、僕が「創作」というものを始めたのは、22歳、大学4年生の時でした。当時は、主に詩を書いていたんですけどね。

 大学が文学部の社会学科(現在は社会学部)で、臨床心理学が専攻だった……とはいいとして、担当のゼミの女性教授が、非常にフリーダムな性格をしておられて、論文とか、好きに書かせてもらっていたんですね。おかげで、論文で、苦労をした覚えが全くありません。

 卒論然りで、事もあろうに、僕は、詩を何十編か書き、そこに、申し訳程度の心理学的分析を添えたものを、「卒論です」と言い張って、提出したわけです。

 驚くべき事に、それが認められ、僕は、何の苦労もなく、8単位をゲットしてしまったという、今から思えば、詐欺のようなことをやらかしたわけです。

 その代わり、生来のサボり癖が祟って、半年留年したんですけどね。

小説の執筆を始めた頃

 1997年の9月に大学を卒業した後、半年前に内定をもらっていた、システム開発会社で、プログラマーとして働き始めました。卒業までの半年は、バイト扱いで仕事はしていましたが、やっと社員になったわけです。

 しかし、いかにパソコンが得意であれ、ド文系の哀しさです。まるっきり仕事について行けず、次の年の1月に、退職しました。

 今で言うところのニートになったわけですが、その間、自宅で小説を書き始めました。ジャンルに関しては、センシティブな……まあ、ぶっちゃけR18ジャンルだったわけですが、「好きなことを好きなように書く」快感を、この頃に覚えてしまったのです。

 この「わがまま」が、後々、大いに足を引っ張るなど、露と思わずに。

転機

 好きな小説を書きまくって……とは言え、ラノベ以外の読書の習慣というモノがなかったので、インプットにいそしむよりも、圧倒的に、アウトプットの方が多かったわけですが、とにかく書いて、草の根BBS(ネット黎明期、インターネット以前のコミュニティ)に投稿し続けていました。

 出来上がった作品は、時々、とても冷静な目を持っていた、当時の友人に、チェックしてもらっており、それが、後の僕を形成していったと言っても過言ではありません。

 ある時、その友人の勧めで、とあるゲームをプレイしました。当時、どちらかと言うと暗い話ばかり書いていた僕にとって、それ(ゲームのストーリー)は衝撃でした。

 俺もこんな、「誰も不幸にならない話」が書きたい! と思い、新しい作品を書き始めました。

 その新しい作品を、先述の、当時の友人に読ませると、彼は、「これ、面白いから、ゲーム会社に持ち込んでみろよ」と言いました。

 そして、運命的と言ってもいいタイミングで、大阪のハローワークで、地元のゲーム会社の、シナリオライター求人を見つけ、応募しました。面接では、今まで書いた作品を全部印刷して臨み、晴れて採用。

 ここから、プロのゲーム(エロゲ)ライターとしての道のりが始まったのです。

 24歳の時でした。

我流の罠

 ゲーム制作会社に就職が決まり、さあ、俺もこれで、やっと、プロのライターに師事して、本格的な修行が出来るぞ……と思っていたのですが、それは叶いませんでした。

 なぜなら、その会社では、唯一いたシナリオライターが退職しており、社内にライターはゼロだったのです。

 文字通りの、孤軍奮闘が始まりました。周囲に、シナリオについて分かる人間は、全くいない。自分で勉強したくとも、その方法さえ分からない。結局、徹頭徹尾、我流でやるしかありませんでした。

 余談ですが、その、孤軍奮闘で書いたデビュー作が、当時のエロゲとしてはヒットを飛ばし、アニメ化までされたもんですから、後の僕が、大いに調子に乗ってしまったのは、今に至るも苦々しく思い出します。

 以降、会社を移籍したり、フリーランスとして独立したりをはさみ、40歳になるまで、エロゲライターをやっていた話は、長くなりすぎるので割愛しますが、この「いつまでも我流」というものが、僕が、最終的に業界から仕事を干された一因だと思っています。

 しかし、「それ」に気付くのは、まだもう少し先のことです。

公募勢になる

 あれは確か、34歳の頃だったでしょうか? 毒電波を受信して、どこへ出すかも決めないまま、小説を一作書きました。

 書いた後で「これを受け付けてくれるところ」を探した結果、秋田の地方新聞社である、「秋田魁新報」が主催する、「さきがけ文学賞」に、何の気なしに応募しました。

 応募の事実を完璧に忘れた頃、「最終選考に残りました」と言うハガキが来て、二度見どころか、三度見しました。

 受賞は逃したわけですが、あれは、貴重な成功体験でした。その後、エロゲライターを廃業し、まあちょっと、心の風邪がこじれて、数年間寝込んでいた時期もありますが、改めて、「小説家としての」再デビューを目標にしたのです。

 46歳になっていました。

やはり我流の4年間

 どうせ、書くことしか出来ない。青春の全てを、創作に捧げたのです。要は、汎用的なビジネススキルを、何らも持っていない。今さら、他の業種へ転職なんか、できっこない。

 とにかく、書く! 矢継ぎ早に……とまでは、まだいきませんが、書いたそばから、ラノベの懸賞に出すようになりました。ただ、まだまだ我流。「作法」を知らないまま、「己を信じる」というと気取りすぎですが、しかし、「そう」としか言えない心構えでした。

 公募の結果は、行ってせいぜい、第一次選考通過止まり。「突破口」が見えないまま、僕は、4年間、もがくことになります。

新たな転機

 そして、2024年。僕もとうとう、50歳になりました。いかに世の中、公募勢として、10年も20年も戦っていらっしゃる方々もいるとは言え、僕は、明確な焦りを感じ始めていました。

 応募するのに年齢は関係ないとは言え、4年も頑張ってきて、いつまでも一次選考通過止まりでは、どうしても焦ります。

 少し前から、スキルマーケットの「ココナラ」経由で、出来上がった作品の、添削サービスを使うようになりました。まあ、この手のサービスについては、賛否両論あると思います。中には、「あなたの小説をとことん褒めます!」なんていう、スキルアップには結びつかないであろうものもありますし。僕は、ちゃんと悪い点も指摘してもらえる出品者さんを選びましたが。

 そんな中、とても厳しい意見を下さる方に出会えました。そりゃもう、容赦なく、全否定してくる勢いで、ダメ出しをして下さった。確かに、地の底まで落ち込んだわけですが、その方に、「ハリウッド式の作劇法を勉強しろ」と、アドバイスされました。

 当初は、「そんな紋切り型のメソッドなんか、作品が没個性になるばっかりで、意味がないから嫌だ」と思っていました。

 しかし、我流に限界を覚え始めていたのも、また事実。勉強しないうちから、否定するのは簡単です。やってみてもいいのでは?

 決意の瞬間でした。

 季節は、晩夏になっていました。

大いなる気づき

 早速、先述の、ココナラでの出品者さんのお勧めに従い、何冊か、ハリウッド式の作劇法の、教本を購入しました。分かる方には分かるでしょうが、シド・フィールド、カール・イグレシアス、ブレイク・スナイダー、ジェシカ・ブロディなどの著書です。

 一通り読んだ結果、目からウロコどころの騒ぎではありませんでした。なんてこった! 俺は、「基礎の基礎」から、「なっていなかった」!

 何のために、小説を書くのか? 別の言葉で言えば、読者の貴重な可処分時間を消費させるに値するものを、しっかり書けているか? そのレベルでの「間違い」に気付いたわけです。

 なるほど確かに、これらの本を読んだ「今後」書く予定の作品が、すなわち、絶対に、これまでよりも公募において善戦するか? という保証なんかはどこにもない。

 ただし、28年間で染みついてしまった悪癖である、「我流」を矯正する、またとないチャンスを得ました。

「さえすれば」は、ない

 繰り返しになりますが、いくら教本を読んだところで、それが、僕の作家としての再デビューを、「確約」してくれるものではありません。「読みさえすれば、万事良好」。そんな甘い話なんか、あったら誰も苦労はしない。

 ですが、「今後の確かな指針」を得られたことは、間違いないでしょう。先ほどの、ココナラでの出品者の方が言いました。

「ハリウッドという所も、歴史が長い巨大エンタメ業界であるがために、『面白さ』の分析、研究は、日本なんかよりも、ずっと進んでいる」

 と。これは、間違いではないと思います。

28年目の仕切り直し

 この、ハリウッド式の作劇法を、盲信するつもりはないです。しかし、少なくとも、古今の「売れた」作品が、まずもれなく、教本の著者達が提示する「方程式」に、バッチリ当てはまる以上、そこには、圧倒的な説得力があります。

 長年、「これでいい」、「これでやれてきた」という、僕の「我流」という悪癖。それが、明確に行き詰まった「今」というタイミングで、「確かな指針」を得られたことは、何よりも心強いものです。

 これが、もう20年早かったなら、とも思うのですが、それを今言っても、何の意味もないです。

 2025年で、「創作」に関わり初めて、29年目。

 やっと、ようやく、「仕切り直し」ができます。

 人生、死ぬまで勉強です。

 しかし、まずは「楽しむ」こと。

 途方もなく、大きな学びのあった、2024年。

 来年こそ、結果を出せるようにしたいものです。

 んじゃまた。

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不二川巴人
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