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非常に簡単な、小説の書き方。(オサーンの昔話含む)

 よろしいですか? 「小説」と「シナリオ」は、全く別物なのですよ?(挨拶)

 と、いうわけで、不二川です。

 今日は、本題とは関係のないことなので、先に告知だけしておきます。

 またしても、ノクターンノベルズを更新しました。

『まりこちゃん(仮名)跳び箱で大失敗をするの巻』

https://novel18.syosetu.com/n4572js/

 1998年初出の、特殊性癖でR18な、ショートショートです。多くは語りません。ご興味のございます方はドゾー。

 今回は、予想外に長くなったので、目次を付けます。


前回までのあらすじ

 そんなわけで、昨日は、

 「(前略)(中略)(後略)」などと書かせて頂きました。(意味不明)

 持ち弾は、まだそれなりにありますから、毎日更新を目指したいところ。(塵芥のようなこだわり)

溢れ出る他人事感

 しかし、僕氏も、1996年ぐらいから、その長短を問わず、かなり書いてきました。まあ、より厳密には、小説の前、詩を書くのが好きだったわけで、大学で文学部だったもんですから、詩集を作って「卒論です!」と言い張った結果、それで8単位取ってしまった、とかいう経歴もあったりします(本当)。

 ちなみに、その、1996年に、「生まれて初めて書いた小説」というのが、これだったりします。当然ながら(?)R18です。

『私とアタシ』

https://novel18.syosetu.com/n0500hm/

 まあ、もちろん、ノクターンノベルズへ公開するに当たって、細かい部分を修正はしましたが、根幹は変わっていません。今読んでも、「これ、誰が書いたの?」「俺だけど?」という、謎の他人事感を覚えます。

 この当時、まだ、世に「インターネット」というものはありませんでした。「草の根BBS」という、個人(ないしは企業)が、自前のホストサーバーを設置し、そこに、ユーザーが、ダイヤルアップで繋ぐというもの。分からない方は、別にそれでも困らないので、「ふーん?」程度で構いません。

オサーンの昔語り(悪質)

 この作品、『私とアタシ』も、R18な雑誌で有名な、出版社の「三和出版」が運営していた、有料会員制草の根BBSである、「マニア倶楽部ネットワーク(通称、「マニクラネット」)」が初出です。

 人のフェチズムは、十人十色。要するに、「同好の士」が集まって、(めっさ濃ゆい)コミュニティを形成し、そこで、己の妄想を語り合って、夜を明かしていたわけです。

 僕の性癖も、当然、「同志」が、たくさんいました。そして、専用のグループがあったのです。「クローズド・ユーザーズ・グループ」の頭文字を取って、「CUG(カグ)」と呼ばれていました。

 で。掲示板には、同好の士による、創作小説が、多数投稿されていました。しかし、僕的アンテナに来るものが、ない。ぢゃあ、自分で自分の好きなよーに書いてやれ! と思ったのが、そもそもの発端です。

 上記作品、ざっくり言えば、「ストレスから人格分裂を起こした主人公が、幼児退行で救われる」話です。その着眼点が、「斬新だ」と評価され、ウケがよかったわけですよ。

 人間、褒められれば嬉しくなるもの。ってか、調子に乗ります。豚もおだてりゃ木に登る、で、次々に書いていった結果、なんか知らないうちに、ライターデビューしたという次第。

「100枚の壁」の話

 今回、過去作を本格的にノクターンノベルズへ公開して行くにあたり、当時の作品を再読すると同時に、その時の感覚を思い出していました。

 あの時は、「原稿用紙100枚」というのが、一つの壁だったように思います。なるほど、ライターデビューしてからは、そんなもん鼻で笑えるぐらいに、書きまくりました。「一つのストーリー」を、一人で仕上げたことも、たくさんあります。

 ただ、枕で申し上げた通り、「シナリオ」と、「小説」は、別物です。つまりは、「小説を」100枚、40,000文字、書いたことがなかったのです。

 さすがに、全作品の文字数を、つぶさにチェックしたわけではないのですが、それでも、当時は、「100枚」が、「超えられない壁」でした。

 一回だけ、超えた覚えがあるのですが、その作品は、記憶に残っているレベルでも、拙いというか、「無理矢理引き延ばした感」しかないという有様です。さらに記憶の限りでは、「100枚を超える」というのが「ズレた目的」になっていましたし。

 しかし、それ(壁を超えられない)が悪いことか? というのとは、また話が別です。長編であれ、分解していけば、エピソードの連結ですから、まずは、短い話をたくさん書くことは、立派に訓練たり得ます。

 そりゃまあ、僕氏の現役時代は、「ユーザーは、女の子からモテたがっているんだ!」という、根本的勘違いをしていたせいで、書くシナリオにおいては、主人公(ユーザー)に、主体性も選択権もなく、押しつけがましい、果ては「自分の欲望だけ書いている」とまで評されて、最終的には、仕事を干されたわけですが。

 まあまあ、その勘違いも、今や矯正され(たと思う)、同じ轍は踏まない自信はありますけどね。

 なんだかんだで、今ではもう、10万文字オーバーの作品を、どんどん書ける程度にはなったので、そこは素直に喜んでいいはずですが……1996年当時の作品を読み返しても、内容的に、あまり進歩がないと思うの。

「ライフワーク」?

 よく、小説家志望の方が、大長編を書きつつ、「これが私のライフワークなんです!」とか言うパターンがあります。これ、

「すってんころりん、アイタタター!」(バリトンボイスで)

 でしかないんですよね、個人的には。

 ケツを決めないで、チンタラ書いた作品が、果たして面白いか? しかも、読者が中だるみせず、最後まで読んでくれる保証も、まずないことです。

「まだ無名である、あなたのライフワークなんかに、誰も興味はない」

 のですよ。

 とは言え、まさか僕も、他人様の創作活動にケチをつける権利も道理もないですから、やりたい人は、やればいいんです。その代わり、血肉にはならないとは思いますけどね。「風呂敷をたたむ」訓練をしない限りは。

小説の書き方?

 なので、もし、僕が、曲がりなりにも28年、「書くこと」と付き合ってきた身として、言ってもいいのならば、

「短くてもいいから、まずは完結させた作品を書け」

 と、いうことですね。

 実際、僕自身も、前掲の『私とアタシ』は、またも記憶の限りだと、30枚未満だったはず。それでいいんですよ。なんなら、もっと少なくてもいい。とにかく、「ダラダラ書かない」こと。これが一番大事。

 世の小説家志望の「あるある」だとは思うのですが、何の心得もない素人が、いきなり10万文字オーバーを書こうとするから、gdgdになったり、挫折したりするんですよ。

 まして、ケツも決めずに長々と書いて、「ライフワーク」もへったくれもない。まあ、座学や、他人への批評(攻撃)にばっかり熱心で、一文字も書かない「作家志望」よりは、はるかにマシではありますが。

 もう一つ言えることは、前段で言った、「書かない作家志望者」に、必ずと言っていいほど欠けていることなのですが、「駄作を書く勇気を持て」ということですね。

「この一作に! 我が全てを! 過去も現在も未来も、一切合切を捧げる! そう! 文字通りの、乾坤一擲!!」

 そんなタイプもいるみたいですけど、初めっから傑作を書ける人間なんて、まずいませんよ。例外もありますけどね。

 また、小説を書かんとしている人が、読書家であればそれだけ、先達の流麗な表現技法を知っているがゆえに、己の語彙力の無さにへこんだりもしますけど、はっきり言います。

「気にするな! 習うより、慣れろ!!」

 これしかないです。

悪い書き手の典型例

 少し余談ですが、僕の現役時代、「他人が書いたシナリオを修正する」仕事も、何度かやりました。

 んで、ダメなライターに限って、ほぼ漏れなく、

「本筋とは無関係の、まさしく無駄な舞台設定を、ハードボイルド気取りで延々書く」

 症状が見られました。当然、大なたを振るわせていただきましたけどね。

 皆様も、考えてみてくださいよ。「これを書いてる俺、超カッコイイ!」という、自己陶酔臭がプンプンする、キャラクターやストーリーに一切関連しない、枝葉未満の文章を読まされる苦痛を。

 そこへ持ってきて、そんな「枝葉未満」に文字数を割いているおかげで、肝心のキャラクターの掘り下げや、ストーリーの展開が、まったくおざなりになっているんですからね。本末転倒もいいところです。

 もうね、そんなもんを書いたライターを、ぶん殴る……は、表現として下品ですから、

「そこへお座りなさい。殴打してあげます」

 とでも言いたかった、あの日。

致命的問題

 ……とかまあ、延々語らせていただきましたが。

 最大の問題は、僕氏が、「シナリオライター」としては、そこそこのキャリアがあったとしても、「作家」としては、まだ芽が出ていない、ってことですね。

 修行は、まだまだ続きます。チャカポコ。

 んじゃまた。
 

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不二川巴人
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