「小説を書きたいけど、本は読みたくない」? 大丈夫!(続・小説の書き方)
午後イチで、近所の大病院へMRIを撮りに行ったのですが、さほどの時間はかからなかったのに、いやに疲れました(挨拶)。
と、いうわけで、不二川です。
11月だというのに、昼間がまだ半袖で過ごせるあたり、バグじゃね? と思う今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回の記事は、「小説を書きたいけど、本なんか読みたくないよー! なんとかならないのー?」とか言った話です。
またしても、ちょい長めになるので、目次を付けます。
最初にお知らせ
えー、本日も、ノクターンノベルズを更新しました。
タイトルは、『秘密の体育館』。オリジナルファイルのタイムスタンプを見る限り、1999年初出のようです。
https://novel18.syosetu.com/n5730js/
特殊性癖ですが、ご興味のある方は、ドゾー。
前回までのあらすじ
さて。昨日は、
「僕氏流、小説の書き方!」などと書かせて頂きました。
どこがだよ! という声も聞こえてきそうですが、間違ったことは言っていないはずです。
近道もなければ、寝言の入る余地もない
世の中、何であれ、「さえすれば」は、ないものです。つまりは、「これさえ覚えれば、すばらしい小説を書ける」なんてえ近道も、またないのです。
厳密には、シド・フィールド、ブレイク・スナイダー、カール・イグレシアスなどが書いている、ハリウッド式の作劇法が、かなり役に立つ「公式」ではあるのですが、アレらは、「ある程度書けるようになってから、参照するもの」です。
そりゃあ確かに、話の構成として、起承転結ぐらいは、最低限覚える必要がありますけど、そんなもん、四コママンガが理解できれば十分です。
「本当に書きたい」のならば、四の五の言ってる暇なんかないはずです。技法なんてもんは、書いているうちに身につきます。
昨日の記事でも触れましたが、どこかしらの小説教室に入るのも、1つの手ではあります。しかし、理屈ばっかりこねる、あるいは、他者のダメ出し(という名の個人攻撃)ばっかりやって、1文字も書かない連中の話は、よく聞きます。
僕自身、ライター時代に、ディレクターを兼務していた頃、その手合いの、いわゆる「脳内の大作家先生」には、かなり手を焼かされました。
先にズバッと言っておきますが、「書かない作家志望」なんてもんは、ただのイタイ人です。俺、あるいは「本気の人」に近寄るな、と言いたい。
この世界、結果が全てなんです。「作品として文字に叩きつけられない or そもそも行動に起こせない」イタイ妄想を垂れ流すなら、自分の部屋か、精神病院でやって下さい。
本を読むのが面倒?
本題なのですが、小説を書こうと思ったら、インプットは必須です。燃料の入っていない車が動かないのと同じ。
しかし、読書の習慣がない人の場合、いざ「本を読もう!」と思っても、なかなかしんどいものです。実例として、僕氏も、中高時代は結構ラノベを読みましたが、成人してからは、ろくに読まなかったです。でも、なんとかなっていた。
不都合な真実を言うと、小説を書くなら、いずれは、ちゃんと本を読む必要性は、出て来ます。避けては通れません。しかし、義務感だけで読んでも、身に付くわけがない。当たり前でしょう。
大丈夫。そんな人でも、なんとかなる。
ソリューション!
僕のおすすめは、「歌を聴く」事です。なんでもいいです。皆様にも、お好きな歌手、あるいはバンドの一人や二人、いらっしゃるでしょう。
よく考えてみて下さい。「歌」って、ある意味「ショートストーリー」じゃないですか。そりゃまあ、情景とか、心境を歌ったものもありますけど、「誰が、どこで、何をして、どうなった」という枠組みには、当てはまるはず。そうでなくとも、「誰が、何に対して、どう考えた(思った)か?」ぐらいはある。
さらに、「歌詞」は、「詩」でもありますから、言葉的にも、気の利いたものが多い。比喩表現なんかの語彙力を鍛えるには、割と適しているのでは? と、思います。
さすがに、歌を聴くのも嫌だ! とか言われたら、もうどうしようもないのですが、「歌詞を噛みしめて、1つのストーリーとして」聴けば、何らかの新しい発見があるはずですよ。
たとえ、「我は、洋楽しか聴かぬわ!」という方でも、歌詞に意味があることは、共通です。しっかり和訳して、咀嚼してみてください。
ただし、まるっとそのまま(歌の内容を)使っては、色々問題です。ので、「ヒント、アイデアの一助」に留めておくのが無難かと。
個人的な音楽的嗜好の問題
とは言え、僕氏、音楽の趣味がめっさ偏ってます。35年来の「馬の骨」(平沢進師匠のファン)ですし、その他も、ブルハ(THE BLUE HEARTS)とか、アンジー(水戸華之介の方)とか、筋肉少女帯とかですからね。
ブルハとアンジーは、語るまでもないので省略します。筋少は、ストーリー性の強い歌詞が多いので、割と参考になるのですが……人を選ぶバンドであることは、間違いない。
ヒラサワ師匠に至っては、35年間聴き続けても、「うん! 分からん!」な世界観ですしね。ただ、歌詞の、言葉の選び方が、ずば抜けて美しいので、そこは結構、取り入れています。
最終兵器!
小説を書くために、できるだけ楽をしたい! という要求とは、真逆の行為なのですが、地力を付けるのに最適なのが、「写経」です。僕氏は、高校時代、ある授業で宿題を忘れた罰として、「国語の教科書を、手書きで、丸ごと書き写す」のをやりました。
もう、思い出すだに辛い罰だったのですが、振り返れば、あの時に、言わば「基礎体力」が身に付いたのだなあ、と。
今は、ワープロ全盛の時代ですから、キーボードからでもいいんですよ。「どんな本を写経すればいいのか、分からない!」と言う時は、それこそ、国語の教科書でいいでしょう。なぜなら、アレは、「名作のエッセンス」だからです。
文法の問題?
最後に、文法、あるいは、文章表現を最短で直す方法を伝授します。
ズバリ、
「自分の原稿を、声に出して音読すること」
です。
朗読につっかかる(誤脱や、読みづらさ)、同じ表現、文末を多用してしまう(リズムが悪い)、前後が繋がらない(構成の不整合)などなど。自分で声に出して読めば、大抵の問題は解決します。
感動するシーンを読んでいて、書いた本人なのに、泣きそうになったぐらいなら、しめたもの。とは言え、そこに持っていくまでの展開に無理があると、第三者的には突っ込まれますけどね。
僕氏の例で言うと、ある作品、一次選考は突破したのですが、「復讐譚の中にラブコメを入れた(そして、中盤ごろで、メインヒロインと完全に結ばれた)」せいで、「せっかくの感動が薄くなった」と言われました。
ただ、そのことに関して言い訳をするならば、「結ばれて初めて出来る、その後の展開」だったので、ラブコメ要素は抜けたかも知れませんが、修正は出来なかったんですよね。
本は、気が向いた時でいいんです
繰り返しになりますが、小説を書くために、本を読むことは、必須です。しかし、「勉強しなきゃ!」という姿勢で読んでも、空転するばかり。
まずは書く。書き続けているうちに、自分自身に、「違和感」というものが、絶対に出てきます。それでも読まないのならば、別にいいです。ただ、「必要な時に読む」と、「義務感」が薄れて、思っていたより読みやすく、頭にも入ってきます。ソースは僕。
小説を書くためには、「何百冊本を読まねば、資格はない!」とかいった話は、まったくないのです。どっかのマンガかなんかのセリフにありますが、「中身のない奴ほど、数を誇る」ものですから。
書かない奴は、いくら本を読んでも、何も変わりません。
大丈夫。
本気で書こうとしている「あなた」を、止めるものはいない。
一緒に、頑張りましょう。
んじゃまた。