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公募は、忘れるぐらいでちょうどいい。(公募小説の話)

Q:夏目漱石と太宰治の差は何か?
A:女癖がいいか悪いか。
(挨拶)

 と、いうわけで、不二川です。

 人がまだ、12月のツアーにも行っていないのに、どんどん新しい旅行のパンフレットを送ってくる、クラブツーリズム=サンはどうかしている、と思う今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 今回の記事は、「健忘症のス丶メ!!」とかいった話です。

前回までのあらすじ

 さて。昨日は、

 「オーバーラップ文庫大賞へ、2つめ!」などと書かせて頂きました。

 加齢のせい、というのもあるかも知れませんし、その他のこと(明日配信する予定のボイスブログの制作)に夢中になっていたからかも知れませんが、今日は、驚くほどマターリしておりました。

 いや、別に、「言われて初めて気付く!」というレベルで忘れたわけではないのですが、早速気を揉んで仕方がない! とか、なにがしかの致命的エラーに気付いた! ということもなかったです。

無欲は強い?

 こういう時、思い出すんですよね。えーっと、あれは、16年前だったでしょうか? 完璧な電波で、一作書き上げて、途方に暮れていたんですよ。当時はまだ、Web小説界隈ってのがなかったはずですし。(なろうは、もうあったのかな? ただ、僕は知りませんでした)

 で、まるっきり順序は逆なのですが、本屋で「公募ガイド」を買って、「この枚数を受け付けてくれる賞はないか?」と、探したんですよ。

 その結果、たまたま目に止まった、「さきがけ文学賞」に送ってみたんです。レターパックプラスで送ったはいいものの、すっかり忘れておりました。ええ、そりゃもう、言われなきゃ思い出せないレベルで。

 そしたら、後日、「最終選考に残りました」というハガキが来て、まさに「ファッ!?」と思いました。惜しくも受賞は逃したのですが、主催である「秋田魁新報」の紙面に、選評と共に名前が載ったのは、貴重な成功体験です。

 ちなみに、その作品は、現在、Web小説界隈で発表しておりますので、ご興味のございます方は、ぜひ。

 なんにせよ、「無欲が強い」ことを、この時に知りました。

 とは言え、本格的に公募に挑戦し始めてからは、そこまで達観なんか出来るはずもなく。また、真面目にデビューを狙うようになったので、完全に肩の力を抜くことなんか、なおできようはずもないのですが。

確実なことは……

 功を焦るのもダメですが、それよりも、「変に周囲を恨まない」ことですね。イタイ系の書き手に多い(実体験による)のですが、「俺の傑作を分かってくれない、審査員が悪い!」と思い込む人、結構いますからね。

 最近思うのですが、物事って、「タイミングが全て」と言ってもいいのかも知れませんね。いやまあ、「何を今さら?」と仰る方もあるでしょうが。

 もちろん、不断の努力は必要でしょう。でも、例えば、『ハンチバック』の作者である、市川沙央氏が、20年間ラノベの懸賞に応募し続けて、全然芽が出なかったのに、純文学を書いたら、芥川賞を獲ってしまったとか。

 照準の変更をせんとしている僕も、「もしかしたら」、狙うべきは、初めっからラノベではなかった「かも」知れない。そんなのは、まだまだ分からない話ではありますが。なんせ、結果を出してないんですから。

心理的負荷の問題

 ただ、先日、「今後は、一般文芸のエンタメジャンルを狙う」と表明した件、自分的にも、割と肩が軽くなったんですよね。

 実際のところはさておき、ラノベとは、若者向けです。言うまでもなく、僕はもう、全然若くない。なんなら、真剣に公募というものに向き合い始めた時点で、既に46歳でした。20年遅いでしょう。

 振り返ってみれば、昔っから「そう」だったのかも知れません。少年時代に、ラノベにはずいぶん助けられました。しかし、いざ自分が書くとなると、本当は、ラノベに手を出すべきではなかったの「かも」知れない。

 こんな話があります。エロゲライターだった頃、業界人のあるプロデューサーが、「ライターを集めて、ラノベ雑誌を作ろう!」と言い出しました。

 僕も声を掛けられて、そのプロデューサーと、打ち合わせをしました。結局、その本は、大御所原画家さんの華々しい表紙を添えた、準備号を出しただけで、第一号も出すことなく、フェードアウトしたのですが……その時の、僕が考えたネタ、どう考えても「ラノベ」じゃなかったんですよ。

 あの当時から、「僕の根っこ」は、「ラノベではないもの」を、書きたがっていたのかも? と思います。

再スタート!

 ですね。これまでの4年間が無駄だったか? という話でもないのですが、「若者という未知の存在(あえてこう表現します)」に特化するよりも、もっと広い読者に向けて、書きたい。

 そして、そのためには、ラノベ(及び、Web小説界隈)では、少し窮屈である。という、「個人的」見解。

 ……20年遅かった、とは言え、エロゲライターと並行して、懸賞小説を書くのって、まず不可能だったと思うの。

 そんな、現実山脈。

 んじゃまた。


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不二川巴人
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