見出し画像

本格的に公募に挑戦して、4年。

 noteの運営の方から、「有料記事を書きませんか?」という提案が来ました。

 一応、曲がりなりにも、元プロのゲームライターとして、金を取ってもいいぶっちゃけ話的記事が書けるかも知れませんが、いかに昔の話とは言え、名誉毀損になっては厄介なので(挨拶)。

 と、いうわけで、不二川です。

 毎晩飲んでいる睡眠薬の塩梅が悪いのか、ここ最近、朝が起きられなくて困っている今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 今回の記事は、「4年間!」とかいった話です。

勉強の話

 さて。以前も触れさせていただきましたが、最近の僕氏は、もっぱら、ハリウッド式の作劇法の教本を読んでいます。

 先日、こちらを読了しました。

 はい。シド・フィールドの本、3冊目ですね。内容的には、前の2冊と被るところがあるのですが、人間、一回言われただけで、全部を分かるはずがねえです。なので、反復練習ってことで、素直に。

 もちろん、何度か申し上げている通り、どんな本であれ、ほんの1回通読しただけで、すぐさま己の血肉になるわけでもないです。なので、この類の本は、まずは最低限基礎を押さえるだけにして、自分で実践する中で、辞書的に参照するのが、おそらくよいのでしょう。

 なお、Amazonのレコメンドに出てきたこともあり、さらに別の教本もポチってみました。

 ロバート・マッキーという著者の、ズバリ『ストーリー』という本。さすがにまだ、全部は読了していないのですが、内容は、シド・フィールドと、ブレイク・スナイダーの本を両方読んで、初めて、ちょっと理解出来るかな? という、言わば上級者向けの感触。

 「分かりやすい公式、ハコ書き」を求めるなら、ブレイク・スナイダーの本で事は足りると思うので、後はもう、好みの問題でしょうね。

振り返り

 ところで、先日、ハタと、PC内にある、過去の自分の公募作など、全ての原稿を入れているフォルダ内を見ました。公募に応募した作品は、諸々ひっくるめて、ざっくり数えただけでも、16作ありました。

 そんな中で、最も古い作品を見てみました。プロットファイルのタイムスタンプを見ると、「2020年8月15日」とありました。4年前ですよ。

 ……4年間もずっと公募に挑戦を続けていて、まだ芽が出てないのかよ! というツッコミもありましょうが、そこはそれ、己の力不足ということで。もどかしい思いも、あるにはあるのですが、こればっかりは、自分が喚いてどうなるもんでもないですしね。

 ちなみに、同時期に書きかけの作品もあったのですが、勉強をした後の今は、どうあっても「お約束」に沿っていないことが分かったので、執筆を再開することはないでしょう。もったいないとは思うんですけどね。

さらにもったいないこと

 で、ですね。その、4年前に書いた作品のうち、恐らく初めて「完結させた」長編を見つけました。文字数的には、11万文字とちょっとですから、それなりの力作です。

 記憶が定かなら、当時、MF文庫Jの新人賞に送って、ズバリ、「どこかで見たような世界観だ」と一刀両断され、一次選考通過で敗退した作品です。

 ただ、その作品、MF文庫J以外の懸賞には、一切出してないんですよね。

 改めて、通しで読んでみました。

 ……あれ? 結構よく出来てるんじゃね?

 いや、確かに、世界観的にはありふれているかもしれない。しかし、今の自分が読んでも、割と面白いぞ?

 これはさらにもったいない。一度失敗したからと言って、供養するには、あまりに惜しい。手直しできるところはやって、もうちょっと、別の賞に出してみてもいいんじゃね? 例えば、今年の末が締め切りの、オーバーラップ文庫大賞とか。

自分的気休め

 くだんの作品は、「冷静な第三者」には、誰にも読ませていません。いくら「僕が」面白い、とは言え、それはつまり、「お前ん中ではそうなんだろうよ、お前ん中ではな」ということ。

 じゃあってことで、再度、「ココナラ」経由での添削サービスに出しました。ワカッてますよ。この手の添削サービスは、絶対じゃあない。つまり、指摘を受ける、あるいは、それに沿って直すことがすなわち、賞レースでの勝利を約束するわけでもない。

 既に何度か依頼をした事がある、「褒め殺しをするでもなく、全否定をするでもない」という、自分的にはいい塩梅の講評を下さる方に、再度お願いしました。

 ほとんど、対価を払っての、自分的気休め、あるいは、おまじないみたいなもんです。僕自身が納得してるんですから、そっとしといて下さい。

勘違いをする人々の話

 話はそれるんですが、世の創作者の中には、自作について、自分に不都合なことを言われると、怒る方がいるそうで。

 いや、でも、そういう人達の気持ちも、全く分からんってわけでもないんですよね。

 そういう人達って、「作品=自分自身」であり、「既に自分は、完全無欠の作家である」と思ってるんでしょう。もっと言えば、「我が素晴らしい作品の前に、全国民はひれ伏すべし!」と思っている。

 だから、イチャモンを付けられると、人格を否定されたような気分になったり、あるいは、「下賎の者が、高貴なる我に意見をするか!」と、怒ったりするんだと思います。

 一応、こういう思考回路については、僕自身が、26年前のライターデビュー当初の、かつての同僚氏が「そう」だったので、適当ぶっこいてるわけじゃあない、とは、申し添えておきます。

 ……んで、往々にして、その手の、自意識が肥大しきっている作者に限って、実際の作品は、てんで話にならねえレベルだったりするんですよね。言葉のセンスが致命的になかったり、その他、挙げりゃあキリがないですが。これもまた、僕自身の経験によります。

 ついでに言うと、その手合いは、もれなく「プロ」という肩書きに、滑稽なまでに……もはや「妄執」と言う程……こだわっているもんです。あー、やだやだ。

 他人の意見に素直になれない人間が、技術を向上させられるはずがねえのですが、既に「出来上がっている」、最も悪く言えば「勘違いの権化」には、何を言っても無駄ですよ。ってか、僕自身、先述の、26年前の同僚氏のケツを拭くのに、どんだけ苦労したか! という話でもあり。

 んで、その手の人間は、己の力量不足を棚に上げて、「自分(の作品)を分かってくれない世間が悪い!」と思い込んで、下手すりゃ「無敵の人」になるんですよ。怖い話だ。

腐してはみたものの……

 いや、僕も、4年間頑張って、まだ芽が出ない事に関しては、ヴッちゃけ、心が折れそうになります。とは言え、じゃあ、もうスッパリ諦めるか? と問われたなら、それも明らかに違う。なんせ、「書く」ことしか脳がねえわけですし。

 歳も歳ですから、今から、ラノベは難しいかもしれない。しかし、世の中、ラノベが全てではないのは、あまりに当たり前の話。

 何があっても折れない心、というのは、ありそうでない、とは思います。

 要するに、「俺にも弱音を吐かせろ!」という話でした。

 んじゃまた。

サポートして頂けると、泣いて喜びます。『打てど響かず』というのが、創作者にとって一番哀しいことでございますので。人助けと思って、よろしくお願いいたします。